鬼神・温羅を見事退治した、英雄・吉備津彦。でもこれって本当? 歴史は勝者の言で作られるもの。実はもう一つ別の伝説もあるのです。岡山の吉備津彦神社と温羅についての考察です。
一字違いの神社が隣接
吉備津神社の近くには吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)があります。2キロほど離れただけの場所に、吉備津彦を奉っている一文字違いの神社があるなんて不思議ですね。

実はそれぞれの神社は、備前国(吉備津彦神社)と備中国(吉備津神社)という別の国にあり、ちょうど二つの神社の真ん中が境になっているんです。備後国にも吉備津神社(広島県)があるんですよ。
吉備の地に製鉄・造船技術を伝えた温羅
その吉備津彦神社の『吉備津彦神社縁起』には、朝鮮半島から温羅(おんら)と呼ばれる王子が、吉備の中山にたどり着き住みついたという記述があります。大和朝廷との戦いに敗れた温羅は命を助けられ、日本の人々に製鉄、造船技術を伝えたと言われています。吉備では昔から製鉄が盛んで備前の日本刀も名刀として知られていますよね。
伝説とは年代のずれが
もっとも、製鉄技術が発達したのは5世紀から7世紀にかけて(鬼ノ城の築城もちょうどその時期)ですが、吉備津彦の征伐は3世紀ごろとされるため、年代がかなりずれています。だから単純に温羅・吉備津彦伝説と製鉄技術の渡来を結びつけることはできないでしょう。

悪鬼か? 救世主か?
しかしこれまでレポートに書きましたように吉備にはたくさんの遺跡が存在します。強大な勢力を誇る支配者がいたことは間違いありません。温羅は悪鬼だったのでしょうか、それとも新技術をもたらした吉備の救世主だったのでしょうか?


地元ではどちらが人気なのかな
これはあくまで私の主観なのですが、大和の国から戦争をしかけてきた征服者と、地元に根付いて繁栄していた一族では、やはり後者の方が吉備の民に慕われていたのじゃないかしら。
吉備津彦よりも鬼の温羅にまつわる遺跡の方が数が多いことも気になります。吉備津神社の御竈殿で行われている鳴釜神事のうなり声は、鬼と呼ばれて虐げられた人々の声かもしれませんね。(2008年05月04日訪問)【麻理】

岡山・吉備津彦関連の地レポート







参考文献
地図&情報
吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)
住所 :岡山県岡山市一宮1043
電話 :086-284-0031
休業日:年中無休
駐車場:無料