石垣島の南西にある唐人墓は1852年に起った事件の中国人犠牲者の慰霊のために建設されました。極彩色の彫刻が空と海に映えますね。今回はロバート・バウン号事件の謎に迫ります。
ロバート・バウン号事件とは何か?
1852年2月、福建の厦門(アモイ)で集められた約400人の中国人が、米国のロバート・バウン号でカリフォルニアに送られる途中で暴動を起こし、船長ら7人を殺害しました。船は台湾に向かう途中に石垣島の崎枝村沖合で座礁。380人が下船しました。
英米の武装兵が中国人を銃撃
八重山の役人たちは崎枝村の赤崎に収容所を設け、中国人を収容しました。しかし米英の船が収容所を砲撃し、武装兵が上陸して中国人を銃撃・逮捕。捕縛を免れた中国人は琉球王国に保護されましたが、疫病などで亡くなるものも多かったと言います。
1971年に慰霊のために建立
翌年9月に生存者172名を琉球の護送船2隻で福州に送還し、事態は収束しました。これがロバート・バウン号事件と呼ばれる出来事のあらましです。唐人墓(とうじんばか)はこの事件によって亡くなった中国人を弔うために1971年に建てられたものです。
あまりにひどい虐待行為
ロバート・バウン号事件は石垣島に来て初めて知ったのですが大変憤りを感じました。ロバート・バウン号はアメリカの奴隷貿易船で、収容した400人の中国人を裸にして、当時の中国人の命とも言える辮髪(べんぱつ)を切り落としたり、焼きごてを当てたり、病人を海に突き落とすなどして虐待・殺害したと伝えられています。
島の人々の人道的行為
石垣島に上陸した英米の武装兵士は山に逃げ込んだ中国人を射殺、見せしめに吊るしたりもしたそうです。疫病者や自殺者も続出。そんな中、中国人をかくまった琉球王朝や石垣島の人々の人道的な行為は素晴らしいですね。
一般に信じられている説明書きは間違っている?
しかしながら、ガイドブックに書かれた上のような説明書きが実は間違っているという説を主張する方々もいます。
元高校教諭で石垣島唐人墓事件の著者田島信洋さんによると、実際に英米兵に殺害されたのは3人のみで、ほとんどは帰国までに疫病にかかって亡くなった人ばかりであったそうです。さらに英米の砲撃も単なる威嚇砲撃であったとも言われます。(「唐人墓」説明文は正しいか | 八重山毎日新聞社※リンク切れ)
いったいどっちが正しいの?
そう考えるとこの事件の印象ががらっと変わってしまいますね。英米の兵士は罪のない中国人を大量殺戮したの? それとも納得の上で乗船したのに船長を殺害して暴動を起こした中国人が悪いの? いったいどちらが正しいのでしょうか?
ぜひ唐人墓へ行ってみよう
どちらにしても弱って逃げてきた人をかくまった島の人々の行いが尊いことには変わりありません。沖縄以外に住む日本人にはほとんど知られていない唐人墓について考えるためにも、ぜひ一度足を運んでみましょう。(2012年05月12日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
唐人墓(とうじんばか)
住所 :沖縄県石垣市新川1625-9
電話 :0980-82-1535(石垣市観光文化課)
時間 :見学自由
入場料:無料
休業日:年中無休
駐車場:無料(30台)