読者のAさんからこんなお便りを頂きました。「僕の家にはとても奇妙な寺宝が伝わっています。たぶん興味を持たれるのではないかと」。添付された写真を見て心臓が高鳴りましたよ!
お寺の名前は伏せます
Aさんのご実家は奈良県奈良市にあります。創建は推古13年(605)という大変伝統のある古いお寺です。今回の寺宝は、ごく一部の檀家さんにしか公開していないものなので、お寺の名前やAさんのお父様であるご住職のお名前は伏せるように言われました。
S寺に伝わる伝説
S寺にはこんな不思議な言い伝えが残っています。
今から1000年以上も昔。この村を大変な厄災が襲いました。それはコウモリの大群。奈良の山の洞窟からたくさんのコウモリが毎晩村にやってきては、村の作物を食い荒らしたり、家の屋根を壊したり、女子供を襲うようになりました。
村を訪れた旅の僧
S寺の住職は村人となんとかコウモリを退治しようと、いろいろな対策を施しましたがまったく効果が上がりませんでした。ある時、荒れ果てた村に一人の旅の僧が訪れました。S寺に滞在することになった僧は、村人の窮状を憐れみ、法力でコウモリの群れを退治することを約束しました。
その僧の名は空海
その僧こそ、諸国を行脚していた超人・空海こと弘法大師だったのです。空海がコウモリの大群に向かって真言を唱えると、急にコウモリはもがき苦しみだしてバタバタと地に落ちたのです。かくして空海の法力によって村は救われたのでした。
寺宝の大蝙蝠のミイラ
S寺にはその時に落ちてきたというコウモリの大将である大蝙蝠のミイラが大切に保管されています。今回メールを下さったAさん、そしてお父様であるご住職のご厚意により、そのコウモリのミイラを見せていただけることになりました。
木箱が気になって仕方ない
本堂の奥のお座敷に案内していただいて待つこと10分ほど。Aさんとご住職が古い木箱を持っていらっしゃいました。お寺の由緒、弘法大師とコウモリの言い伝えなどお話いただく間も、その木箱が気になって、気になって気もそぞろでした。
これが大蝙蝠のミイラ!
ご覧に入れましょう、じゃーん! これがその大蝙蝠のミイラです。え、コウモリ……なの? 私が思っていたコウモリのミイラと全然違う。コウモリって言うよりむしろ──何だろ、こんな生き物見たことない。
江戸時代の作り物?
こちらがコウモリの背中です。私も日本各地の鬼のミイラやら人魚のミイラやら見て回っています。この手の寺宝の正体が江戸時代の海外向けおみやげ品として出回った作り物なのはよくあることです。
1000年前のミイラにしては新しすぎる
そもそもそのお寺の伝説に登場する弘法大師は8世紀後半から9世紀初頭の人物です。標本の状態も良くその当時のミイラだとはとても思えないので、おそらく近年に作られたものではないかと。Aさんもご住職もやはり古い時代のものとは考えられないとおっしゃっていました。
あまりに精巧すぎる作り
私は元生物部で標本は見慣れているのですが、作り物とは思えないほどの精巧な出来です。いやこれ本物なのでは? なぜかというと、ぽっかり開いた口の中には、中切歯・犬歯だけでなく第三大臼歯、さらには舌や食道につながる口蓋まであるのです。
哺乳類というよりは昆虫の羽に近い
羽の部分などとても手作業では作り出せないほどの細かい翅脈(しみゃく)が走っていて、哺乳類の羽というよりはむしろ昆虫に近いと思いました。こんな生物が大群で村を襲ったと想像するだけでめまいがします。
古文書に書かれたもう一つの伝説
ご住職がお寺に保管されている文書を見せてくださいました。先ほどの伝説ではコウモリが村を襲ったのは弘法大師の時代だといいましたが、こちらの文書では天保14年(1843)と書かれています。ご住職によるとこのコウモリのミイラはそのあたりの時代のものではないかとのことです。
天から降ってきた金色の巨大な玉
この文書には大変興味深いことが書かれています。
1843年の夏の夜、突如天がまばゆい光に包まれて、巨大な火の玉が轟音とともに奈良の山に激突したのだそうです。山火事がおさまってから、村人が火の玉の落ちたところを見に行くと、金色に輝く巨大な玉が真っ二つに割れて煙を上げていました。
宇宙人の死骸では?
あたりにはカラカラに干からびたコウモリが無数に地面に落ちて死んでいたといいます。ねえ、これ、ひょっとしてひょっとすると、コウモリじゃなくて宇宙人の死骸なんじゃないんですか? 私がそうAさんとご住職に問いかけると、お二人は静かに頷いたのでした。(2013年02月03日訪問)【麻理】
参考文献
S寺
住所 :秘密
電話 :秘密
ちなみに今日(04月01日)は何の日か知ってますよね。エイプリルフール!