富山県高岡市の高岡大仏は、地元の人からは「だいぶっつぁん」と呼ばれて親しまれています。高さ16メートル。高岡で育った藤子不二雄A先生の『まんが道』にも何度か登場しています。
日本三大大仏──なのかしら?
高岡大仏の入り口には大きく「日本三大佛」と書かれています。あれ、ちょっと待って? 一位の東大寺・奈良の大仏と二位の神奈川県高徳院の鎌倉大仏はいいとして、3位は岐阜県正法寺の岐阜大仏(かご大仏)じゃないの? と思ったあなた、相当な珍スポット(または大仏)マニアですね。

日本三大○○の第三位は諸説あることが多い
「日本三大○○」にありがちなのですが、三番目はたいてい諸説あって各地がその座を争っていたりするんです。例えば三大がっかり名所は札幌の時計台、高知のはりまや橋につづいて第三位は「うちの方ががっかりだ」「いいやうちの方ががっかり!」と論争になっているほどです(そんなもん争わなくていいのに)。

高岡大仏? それとも岐阜大仏?
調べてみると、時代によって三大大仏は各地の大仏様が入れ替わっている様子。江戸時代には京都・方広寺の京都大仏、戦前は兵庫・能福寺の兵庫大仏がランクインしていたこともあるみたい。今のところは岐阜大仏と高岡大仏のどちらかが三番目になりそうですが、定説はありません。
地元の方には口が裂けても言えません
そんなちょっぴりトホホな感じが面白くて、高岡市の高岡大仏へとやってきたわけです。もちろん地元の方には「日本三代佛は、本当は岐阜大仏ですよね?」なんて口が裂けても言えません。ここはおとなしく粛々とお参りすることにしました。
胎内巡りの入り口にはおびんずる様
高岡大仏は胎内巡りができる大仏様です。入り口にはなで佛のおびんずる様がいらっしゃいます。おびんずる様(賓頭盧尊者)とは、お釈迦様の弟子です。神通力に優れており、病人を治す力があります。おびんずる様を撫でてから自分の体の悪いところをさすると治癒するという言い伝えから、なで仏とも呼ばれます。
円形の回廊には13枚の仏画を展示
中は円形の回廊となっていて、壁に仏教画が13枚かかっていました。迦陵頻伽(かりょうびんが)や阿弥陀如来(あみだにょらい)、聖徳太子、地獄絵図などを拝みながら進みます。
福井県の肉付きの面の場面も
あら? この場面見覚えがある。吉崎の肉付きの面の場面ではありませんか。肉付きの面とは、憎い嫁を脅すために姑が鬼女の面をかぶったところ、面が顔にくっついて取れなくなってしまったという怖いお話です。肉付きの面はお隣の福井県の伝説だからこのあたりでも馴染み深いのかもしれませんね。


消失した二代目大仏の仏頭を祀っている
回廊の最深部には二代目高岡大仏の仏頭が祀られています。実は現在の高岡大仏は三代目。初代は文政4年(1821)に消失、二代目も明治33年(1900)の火事で焼けてしまい、かろうじて仏頭のみが残っているのです。一部焼け焦げた跡も見られるとのことでしたが、どの部分かは分かりませんでした。
焼失後33年の月日をかけてようやく大仏建立
こちらは明治44年に撮影された、高岡大仏面像竣工記念の写真。二代目の高岡大仏が消失した後に地元の篤志家の方々が再建に向けて尽力し、火災から33年経ってようやく昭和8年(1933)に悲願成就とあいなりました。高岡のみなさん、良かったですね!
20代前半の若者を原型師に大抜擢
驚いたのが、高岡大仏の原型師が20代前半の非常に若い方だったということ。中野双山(1881〜1940)さんという方で富山県立工芸学校(現・富山県立高岡工芸高等学校)卒業後に上京し、東京美術学校(現・東京芸術大学)で学んだというホヤホヤの新人さん。大抜擢ですね。こういう部分は現代の我々も学ばねばならないと思いました。
藤子不二雄A先生の『まんが道』にも高岡大仏登場
高岡大仏は奈良の大仏のちょうど半分ほどのコンパクトサイズ。とは言え、16メートルの青銅製の大仏様はどっしりとしていて頼れるお父さん的なイメージでした。そうそう、高岡市で育った藤子不二雄A先生の『まんが道』にも高岡大仏は何度か登場しますよ。探してみてくださいね。(2017年11月03日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
高岡大仏(たかおかだいぶつ)
住所 :富山県高岡市御旅屋町1222-2
電話 :0766-20-0555
休業日:年中無休
時間 :胎内巡りは06:00〜18:00
入場料:無料
駐車場:無料(12台)
関連URL:高岡大仏