奈良県の観光地で最も有名な石舞台古墳。知名度がありすぎるため珍スポットと呼ぶにははばかられますが、飛鳥奇石群の中では外せない不思議な遺跡ですのでぜひご紹介しましょう。
国内最大級の横穴式石室
奈良県明日香村の一番の呼び物と言えば、石舞台古墳(いしぶたいこふん)。30数個の巨石から作られていて、全長は約19メートル。玄室の高さは7.7メートル、幅3.4メートル、高さは4.8メートル。国内最大級の横穴式石室です。
蘇我馬子の墳墓である可能性が高い
誰の墓かというと、『日本書紀』の記述から蘇我馬子(551年〜626年)の墓である可能性が高いと言われています。少女マンガの名作『日出処の天子』をご存知の方には、毛人(えみし)のお父さんと言ったほうが分かりやすいでしょうね。
美女に化けたキツネが踊った?
しかしかつて石舞台はお墓ではなく、本当に「石の舞台」と考えられていました。キツネが化けた美女がここで踊っていた(※)とか、旅芸人が舞台としてお芝居を演じていたという言い伝えもあります。確かに上の部分が平になっていて踊りを踊るには調度良いかも。
以前は盛土のあった古墳だった
元々ここは普通の古墳と同じように土が石の上にかぶさっている小山だったのですが、風雨によって土が流されて石の基礎だけになったそうです。石の総重量は2,300トン。1000年以上経った今でもそのまま残っているんですね。
玄室の高さは約5メートル
石舞台の内部は公開されており、玄室に入ることもできますよ。高さが5メートル近くもあるので意外に広々とした印象があります。巨大な石(約77トン)が天上に使われていてちょっと怖かったのですが、地震が何度あっても崩れずに残っているのだから大丈夫なはず……とビクビクしつつ見学しました。
どんな副葬品が入っていたのだろうか
当然のことながら石室の中にあった埋葬品はとっくに盗掘されていて、石棺の破片や陶器、銅の金具ぐらいしか見つかっていません。でもこれだけの巨大な墓なのですから、副葬品は相当豪華だったはずです。どんな金銀財宝が一緒に埋められていたのか想像するとワクワクします。
近くには石棺のレプリカ
石棺そのものは見つからなかったのですが、残されていた石棺の破片と飛鳥時代の古墳にみられる石棺の資料を元に、写真のような石棺が入っていたのではないかと推測されています。これはレプリカですが、頑丈そうな立派な石棺ですね。
蘇我氏は極悪人であったのか?
ところで。古墳の石がむき出しになってしまったのは、蘇我一族の懲罰として墓を暴いたからであるとも言われています。大化の改新で中大兄皇子、中臣鎌足らによって滅ぼされた蘇我氏は、栄華を思うままにした残虐非道な権力者というイメージがありますよね。まあ穴穂部皇子や崇峻天皇を殺害しているから無理もないんですが。
日本の基礎を作った功労者?
でも蘇我馬子が導入しようとしていた律令制は、天皇中心の日本国家を築くためには不可欠のものでしたし、神道派の物部氏を打ち破って、仏教を広めた功績は多大なものがあります。歴史では生き残った者が正義となりますから、蘇我氏=大悪人と決めつけてしまうのはちょっと気の毒かなあとも思います。(2013年02月03日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
石舞台古墳(いしぶたいこふん)
住所 :奈良県高市郡明日香村島庄254
電話 :0744-54-4577(明日香村地域振興公社)
時間 :08:30~17:00
休業日:年中無休
駐車場:有料(かなり少なく、他に周囲に駐車場がない)
入場料:大人300円