奈良県明日香村。のどかな風景が広がる田園地帯に鬼の雪隠と呼ばれる石があります。鬼が旅人をまな板の上で調理して食べ、その後この雪隠で用を足していたと伝えられています。
鬼が用を足していたトイレ
雪隠(せっちん)というのはトイレのことですね。昔はこの辺りは霧ヶ峯と呼ばれたほどよく霧が発生して迷う人が多かったため、旅人を捕らえて食べる鬼の伝説が生まれたのかもしれません。
雪隠の正体は、横口式石槨の石室の蓋
でもこの雪隠の正体は、横口式石槨の石室の蓋であると推測されています。盛土が流れてなくなり、石がむき出しになったんですね。
花崗岩の巨石を加工して作った石室
もともとは7世紀後半の飛鳥時代の墓で、花崗岩の巨石を加工して作った底石、蓋石、扉石の3つから成る石室でした。雪隠の内側は幅約1.5m×高さ約1.3m。なかなか立派なお墓です。
斉明天皇と建皇子の合同の墓か?
誰のお墓だったかは分かっていません。一説には天智天皇(626~672)の息子であり、持統天皇(645~703)の弟・建皇子(たけるのみこ:651〜658)と、建王の祖母にあたる斉明天皇(594~661)の合同の墓であろうと言われています。斉明天皇は、奇石群シリーズの亀形石造物に出て来ましたね。道教に傾倒していた女性天皇です。
建皇子を溺愛していた斉明天皇
建皇子は生まれつき口がきけなかったため、祖母の斉明天皇は彼をかなり可愛がっていたようです。斉明天皇は建皇子の死をいたんで歌を読み、自分の死後陵に合葬するように命じました。でもそんな悲劇の古墳が、後世にトイレと言われているのはなんだか気の毒ですよね。
鬼の俎は石室の底石部分
そして鬼の雪隠のある遊歩道右手の高台の上にあるのが鬼の俎(まないた)です。長さ4.5mm、幅2.7mm、厚さ約1mの石の板です。これは石室の底石の部分だと考えられています。つまりこの上に乗っていた蓋の部分が丘を転がり落ちて、鬼の雪隠になったのでした。
立派なお墓なのにかわいそう……
鬼の俎(底石)には、多数の穴が開いています。これは室町時代に高取城を建てる際、石垣の石材として割り取ろうとした後とみられています。昔は歴史的文化財を保護しようとか、そういう考えはあまりなかったのかしら。
トイレと呼ばれるし、石垣にリサイクルされそうになるしで、つくづくかわいそうなお墓ですよね。(2013年02月03日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
鬼の雪隠(おにのせっちん)俎(まないた)
住所 :奈良県高市郡明日香村平田(鬼の雪隠)
:奈良県高市郡明日香村野口(鬼の俎)
電話 :0744-54-5600(明日香村 文化財課)
時間 :見学自由
休業日:年中無休
入場料:無料
駐車場:なし