頭がサル、胴体がシシ、手足はトラ、しっぽがヘビの妖怪・鵺のお墓「鵺塚」【大阪】

鵺塚
頭がサル、胴体がシシ、手足はトラ、しっぽがヘビ──そんなキメラのような不思議な妖怪・鵺(ぬえ)。平安時代に源頼政が退治した鵺が葬られているという大阪市都島区鵺塚を訪れました。

大阪港の紋章は鵺!?

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これは大阪港の紋章です。青字の紋章には金色の大阪港のマークと銀杏の葉、古代の日本船が描かれていますが、それよりも目を引くのは二匹の鵺です。なんで大阪港と鵺が関係あるの?と首をかしげてしまいますが、それにはこんな逸話があるのです。

鵺退治の伝説とは?

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平安時代後期の近衛天皇(1139〜1155)の時代、京の都を騒がせていた妖しい妖怪がいました。不気味な鳴き声を聞いて病気になってしまった近衛天皇。側近たちは弓の名手である源頼政(みなもとのよりまさ)に化け物退治を命じました。このあたりは以前レポートしました「鵺ばらい祭り」の記事をご覧くださいね。

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でも実は正確にどの時代だったかは不明

鵺塚
この鵺退治伝説は『源平盛衰記』『平家物語』『閑田次筆(かんでんじひつ)』など様々な資料にかかれているのですが、それぞれ時代がバラバラなんですね。近衛天皇でなく、後白河院だったり鳥羽院、高倉院だったり。ざっくり平安時代──ぐらいしか分かっていません。

鵺の死骸はその後どうなったの?

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しかも鵺は退治されてどうなったのか──というとこれまたバラバラ。鵺の死骸は清水寺に埋められたとか、淀川に流されたとか、死後に馬に变化して頼政に飼われたとか。まあ1000年近くも昔の話ですからね、伝聞・噂がごちゃまぜになって様々な伝説になったのでしょうね。

川に流された鵺の死骸が漂着した場所

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さてそのうちの『平家物語』の伝説によると、鵺の死骸は川に流されたとあります。退治された鵺は京の都を引き回されたのですが、鵺のたたりなのか都に疫病が流行り、人々は恐れおののいて丸木舟に死骸を乗せて川に流したのです。そしてたどり着いたのが現在の大阪市都島区だと言われています。村の人々は鵺をここに埋めて塚を作ったんですね。

いったいどこが本物の鵺の墓なの?

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ただしもうひとつ伝説があります。鵺は都島についた後に、さらに流れていって芦屋川あたりの浜に打ち上げられたというのです。兵庫県芦屋市には同じく鵺塚があるんですよ。この2つだけでなくあっちこっちにお墓がある鵺。いったいどれが本物か掘り返してDNA検査をしてみたい──などと不信心なことを考えてしまうのでした。(2021年07月17日訪問)【麻理】

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動画で見る「頭がサル、胴体がシシ、手足はトラ、しっぽがヘビの妖怪・鵺のお墓「鵺塚」【大阪】」です。どうぞご覧くださいませ。

参考文献

地図&情報

鵺塚(ぬえづか)

住所 :大阪府大阪市都島区都島本通り18-4
時間 :見学自由
駐車場:なし

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