私は日本一の石塔だと信じている「阿育王塔・石塔寺」【滋賀】

アショカ王石塔・石塔寺
滋賀県石塔寺にある、阿育王塔(あしょかおうとう)は、随筆家・白洲正子が「日本一の石塔だと信じている」と言うほどの美しさ。インドのアショカ王が建てたものというのは本当?

聖徳太子ゆかりの寺・石塔寺

アショカ王石塔・石塔寺
石塔寺(いしどうじ)は聖徳太子が近江に建てた48ヶ所の寺のうちの最後のお寺であると伝えられています。そのため聖徳太子の本願がかなったお寺「本願成就寺」とも呼ばれたという伝承もあります。滋賀県には他にも聖徳太子創建と言われる寺が点在しているので、太子ゆかりのお寺であることは間違いないでしょう。

白洲正子のお墨付きの塔

アショカ王石塔・石塔寺
洗練された美意識を持つことで知られる、随筆家の白洲正子は『近江山河抄』の中で、石塔寺の塔のことを「日本一の石塔だと信じている」と書いています。彼女が「日本一」というからにはまさしくその通りなのでしょう。一度目にしてみたいと思って足を運びました。

遥か彼方まで続く石段の上へ

アショカ王石塔・石塔寺
入り口で拝観料を払って、ワクワクしながら石段へ向かいました。これがまた遥か彼方まで続いているような石段で、否が応でも期待が高まります。階段の脇にもたくさんの石塔が並んでいますよ。これらは信者さんが寄進したものだそうです。

青空に映える、日本一の塔

アショカ王石塔・石塔寺
ようやく石段を登り終えると、そこにはすっくと立った石の三重塔が。青空を背景に白い色の塔が輝いて見えました。ほほう、これが日本一の塔か……。審美眼に自信がない私には日本一かどうかは分かりませんが、清々しさと温かみのある塔だなと思いました。

大震災にも耐えたそうです

アショカ王石塔・石塔寺
さらに塔のまわりをとりまく無数の石塔にも息を呑みました。お寺の方にお聞きしましたが、阪神淡路大震災のときに崩れてしまった石塔もあったそうですが、中央の塔は無事だったそうですよ。

インドの阿育王との関係は?

アショカ王石塔・石塔寺
さて、ここを訪れたのには実はもう一つ理由があって、それはこの石塔の名前・阿育王塔(あしょかおうとう)に関係があります。アショカ王は紀元前304年に生まれたインドのマウリヤ朝第三代の王。彼が作った塔の一つがこの阿育王塔であるという伝説があるのです。

古代ロマンあふれる場所

アショカ王石塔・石塔寺
いくらなんでもそれはちょっと無理がない!? でも私はこういった古代ロマンを感じる地に目がないのです。(当ブログでも「古代ロマンシリーズ」というタグで記事を書いています)子供の頃に学研の『ムー』で読んだ阿育王塔をいつか訪れるぞと心に決めていたのでした。

インドの残虐王・アショカ王の改心

アショカ王石塔・石塔寺
インドのアショカ王と言えば残虐非道な王様として有名です。99人の兄弟を殺し、500人の大臣を誅殺。アショカ王の通った所はすべて焼き払われて草木が一本も生えていない──とまで表現されたほど。そんな彼も仏教を知って改心し、釈迦の教えを守る・法(ダルマ)の政治を実行しました。

アショカ王8万4千塔のうちの一つがここに!?

アショカ王石塔・石塔寺
そして釈迦の入滅後に建てられた塔から仏舎利を取り出して、新たに8万4千の塔を建てて収めたと伝えられています。石塔寺の寺伝によれば、そのうちの一つがこの阿育王塔だというわけ。紀元前のインドから遠くはるばる日本の滋賀県まで旅してきた塔なんて、ロマンいっぱいでワクワクしますよね!

実際は百済の渡来人によって作られたものか

アショカ王石塔・石塔寺
まあでも実際の所、この塔は朝鮮半島の塔と形が似ているため、最近の研究では百済の渡来人によって作られたものではないかと推測されています。一級の審美眼を持つ白洲正子は「朝鮮にある塔とは微妙な違いがあり、日本の美術品と解してさし支えないと思う」と言っていますが、はたして真相はいかに?(2016年01月10日訪問)【麻理】

参考文献

地図&情報

アショカ王石塔・石塔寺(いしどうじ)

住所 :滋賀県東近江市石塔町860
電話 :0748-55-0213
拝観料:大人400円
休業日:年中無休
時間 :09:00~17:00(5月から10月は18:00まで)
駐車場:無料(30台)

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