滋賀県で最も有名な心霊スポット。近江八幡市の県道2号線の西に広がる田園風景にポツンと取り残された小さな森。新開の森にはその昔織田信長の処刑場があったと伝えられています。
広大な田園にポツンと残された森
あたり一面広大な畑が広がっているのですが、その小さな森というか雑木林だけが妙に目立っています。いったいなぜここも畑にしてしまわなかったのか? それというのも昔からこの森の木を切るとたたりがあると噂されてきたからなのです。
織田信長の処刑場として使われたものか?
言い伝えによると、新開の森は織田信長が首切りの処刑場として使っていたそうなのです。一説には信長の不在時に城を抜けだして遊んでいた女中の首をはねたとも言われています。確かにここは安土城からは直線距離で2キロほどしか離れていません。
森の端に小さな祠
畑のあぜ道を通って森に近づくと、小さな橋が渡してありました。その先には祠(ほこら)もあります。これは処刑した人々を供養したものなのかしら?
大脇傳助・建部紹智と刻まれた石碑
祠の中には小さなお地蔵様のような石が二つ。赤いよだれかけをつけていました。その横には名前が刻まれた石碑もありました。石碑には大脇傳助(おおわきでんすけ)、建部紹智(たけべしょうち)という名前が刻まれていました。
安土宗論事件の関係者
調べてみますと、彼らは安土宗論(あづちしゅうろん)という事件の関係者なんですね。法華宗の信徒である二人が浄土宗の人に議論をふっかけたことから両派の間で大バトルとなり、安土城下の大騒動となってしまったのです。激怒した織田信長は、そもそもの発端となった二人を斬首して事をおさめたとか。
本当にあった事件かは不明
ただしこのエピソードは『信長公記』に載っているもの。歴史家の中には『信長公記』の信憑性について疑問視している声もありますので本当にあったことなのかどうかは分かりません。祠の後ろ側には「昭和37年 北村まさ」と刻まれていました。地元の有志の方かしら。
滋賀県でも有名な心霊スポット
森をぐるりと回ってみると別の小道がありました。森の奥はうっそうと木々が茂っていて暗くなっています。実はここは滋賀県でも有名な心霊スポットです。処刑場、たたり──などの言い伝えからそんな評判が立ったのかもしれませんね。
竹林は竹の垣根で区切られている
でも私はまったく霊感がないので気にせずずんずん進んでみました。左右は竹林となっていますが、切られた竹で垣根が作ってありましたよ。あれ? 新開の森の木を切るとたたりがあるのではなかったの?
実は今宮大明神の御旅所(おたびしょ)でした
突き当りには「今宮大明神 天満宮 御旅所」と書かれた石碑がありました。なんだ、神様の休憩所じゃないの! そんな神聖な場所が呪われた心霊スポットなわけないですよね。ペットボトルのお茶が備えられていましたし、周りもゴミなどなく綺麗に整えられていました。
不思議な風景が見られる場所
ネットの噂では新開の森はシガイ(死骸)の森と呼ばれているそうです。シンカイとシガイ──確かに音は似ているけどこれはダジャレ。ちなみに「新開」という地名は埋め立てや伐採で新田開発をしたという場所で、新開町という地名は日本各地にあります(新開町 – Wikipedia)。確かにすぐ北に大きな湖がありますしね。
でも広大な田畑にポツンと残された森は珍しい。不思議な風景が見られました。(2016年01月10日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
新開の森(しんかいのもり)
住所 :滋賀県近江八幡市安土町常楽寺