和歌山県新宮市には前回ご紹介した徐福の墓の他にも、徐福に関連したスポットが点在しています。徐福上陸の地としての紀州熊野、また徐福伝説とは何なのか、考察したいと思います。
阿須賀神社の徐福の宮
阿須賀神社(あすかじんじゃ)の境内には、徐福を祀る徐福の宮(じょふくのみや)があります。阿須賀神社は昭和60年に再建されました。石造りの小さな祠で、幕末の地図に「徐福」という文字が記されているため、遅くとも17世紀後半からは徐福信仰があったと考えられます。え? 17世紀後半……?
徐福の目指した蓬莱山
阿須賀神社の後ろにあるのは蓬莱山(ほうらいさん)です。徐福伝説が残る地には必ずと言っていいほど「蓬莱」という山があるんです。問題は、新宮市の蓬莱山は江戸時代前までは別の名前で呼ばれていたということなんです。……ちょっと雲行きが怪しくなってきました。
山っていうか丘?
これが熊野川の対岸から見た蓬莱山。小っこい! 山っていうか丘ですね。巨大な大陸の帝国・秦からはるばる目指してくる山としてはちょっと小さすぎな気がします。「蓬莱山=富士山」説の方がまだ信憑性があるような気が。
弥生時代の住居跡が数多く出土
阿須賀神社の周りからは弥生時代の住居跡が数多く発見されています。これは境内にある竪穴式住居を復元したもの。その一方、神社のそばの熊野川から北側は縄文時代の遺物が出土します。そのため徐福研究の逵志保氏は、蓬莱山は縄文時代には海中にあり、弥生時代は海辺に隆起した小山だったのではと述べています。
歴史民俗資料館で資料閲覧
阿須賀神社の境内の歴史民俗資料館には新宮市の歴史についての資料が展示されています。資料を見ると古来より熊野信仰が盛んなことが分かります。おそらく中世以降に、不老不死を願う仏教呪術隆盛と結びついて、徐福の伝説がクローズアップされたのではないでしょうか。
本当に日本に上陸したのか
そもそも「徐福が霊薬を求めて航海に出た」というエピソードは『史記』を始め様々な文献に登場するのですが「日本に上陸した」と記されているものは960年頃の『義楚六帖』からで、年代的にずいぶん開きがあるのです。
賛否両論の徐福伝説
徐福が日本に渡来したか否かは今も論争になっているんですよ。「徐福が農耕の技術を伝えた」「日本人の祖先となった」「神武天皇となった」という説がある一方、「徐福は日本へは来なかった」「徐福なんて人物は実在しない」という説までいろいろ。でも古代に日本と中国と何らかの接点があったことは間違いありません。
徐福上陸の地記念碑で空想にひたる
阿須賀神社から歩いてすぐのところには徐福上陸の地記念碑があります。これもかなり小さい記念碑です。ちょっぴり拍子抜け。ウソかマコトかは別として、上陸第一歩を踏みしめた場所に立って、徐福の大船団を想像してみるのもまた一興かと。(2006年10月09日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
阿須賀神社(あすかじんじゃ)
住所 :和歌山県新宮市阿須賀1-2-25
電話 :0735-22-2533
歴史民俗資料館(れきしみんぞくしりょうかん)
住所 :和歌山県新宮市阿須賀1-2-28(阿須賀神社内)
電話 :0735-21-5137
時間 :09:00~17:00(冬期は16:00まで)
入館料:210円
休館日:月曜・祝日の翌日・年末年始
駐車場:無料
関連URL:新宮市立歴史民俗資料館 – 熊野学の森