和歌山の熊野山中に不思議な石垣が走っています。延長はなんと100km。なぜこんな大規模なものが山にあるのでしょうか? 猪垣(ししがき)と呼ばれる謎の建造物を追いました。
全国にある猪垣に比べて大規模な熊野猪垣
一般的な猪垣はイノシシから田畑を守るために築かれた石垣です。滋賀県、香川県、長崎県、愛知県、岐阜県などにも見られますが、和歌山の猪垣は100キロと大規模。
1980年代に古代史研究家・野村孝彦氏によって実施調査がされたものの、古文書など文献資料がないため、いつ猪垣が築かれたのか、何のためのものなのかは詳細は分かっていません。
最初に高丸城跡の猪垣を探しに
猪垣の大部分は山中にあります。最も見やすいのは新宮市高森地区の高丸城跡にあるものです。私は子供の頃にこの話を読んで、いつかこの目で見てみたいと思っていました。しかし持っている資料は小学生の時の野村孝彦氏に関するスクラップのみ。
高さ1メートルほどの石垣
今もあるのか不安でしたが、健在でしたよ。猪垣は普通の石垣という感じで見落としてしまいそうです。高さは約1メートル。直径30センチほどの自然石を積みあげています。
猪垣の正体は全くの謎
普通猪垣はところどころ切れ目があり、イノシシを落とすための穴が設けられていますが、この熊野の石垣には切れ目がありません。またあまりにも巨大な規模であること、場所によっては2メートル近くある部分もあることから野村孝彦氏は「これは単なる猪垣ではないのでは」と様々な仮説を立てています。
猪垣は古代の族長の砦なのか?
「聖域や神域としての猪垣説」「道としての猪垣説」などの中で、私は「猪垣=砦・山城説」に興味を持ちました。野村氏は、神武天皇(紀元前7世紀頃)東征の際に熊野の一族の抵抗にあったという『日本書紀』の史実から、地元のニシキトベという族長の築いた砦ではと推理しています。
徐福が始皇帝の軍団を怖れて築いたもの?
また、前回ご紹介したように新宮市は徐福上陸の地と言われています。ひょっとすると、徐福が始皇帝の追っ手を怖れて築いた防壁・砦かもしれません。始皇帝にならって、日本版「万里の長城」を作ったのかな。なんてね。
猪垣に関する様々な説
これらのロマンあふれる説には反論もあります。他の地方の一般的な猪垣は江戸時代に作られており、それほど時代が古くはありません。それに50センチほどの高さしかない部分もあり、イノシシは防げるけれど砦として役には立たないのではという疑問も。
古代ミステリマニアの心をくすぐる不思議スポット
いずれにしても、なんとも古代ミステリマニアの心をくすぐる不思議スポットではありませんか。苦労して山中まで分け入った甲斐がありました。長年の夢が叶ってワタクシ感無量であります。
熊野山中の猪垣を見たい方へ
高丸城跡でも見られる猪垣ですが、やはり山中を走る猪垣を見てみたいもの。しかし熊野の山はハンパなく険しく、遊歩道どころか獣道もない場所に猪垣は横たわっています。気軽に見に行くような道のりではないので登山用の装備をお勧めします。(2006年10月07日訪問)【麻理】
追記
高松城跡の薬師堂をさらに登ると、山中に仏教美術館がありました。営業している気配はありませんでした。ネットを調べても全く情報が得られませんでした。詳細をご存知の方は当方までお教えくださると幸いです。
参考文献
地図&情報
猪垣(ししがき 高丸城跡・薬師堂)
住所 :和歌山県新宮市三輪崎字西高森
※猪垣はこのあたりの山中に点在しています。
関連URL:猪垣ってなんだろう
:道成寺攷 参考資料