千葉県市川市の弘法寺には、常に濡れている涙石の他にもう一つ不思議ないわれのある場所があります。それは手児奈霊神堂。絶世の美女手児奈にまつわる、悲しい伝説をご紹介しましょう。
市川市の古刹・真間山弘法寺
真間山弘法寺(ままさんぐほうじ)は天平9年(737)に行基がこの地に立ち寄った際に建立したお寺です。当時は求法寺(ぐほうじ)と書きました。そして弘仁13年(822)に弘法大師が訪れて弘法寺に改めたという由緒正しい寺院です。弘法寺にある不思議な涙石のお話は前回書きましたね。
奈良時代の美女を祀った・手児奈霊神堂
ここは石段の上にある大寺院の方ではなく、石段下から少し離れた場所にある弘法寺の手児奈霊神堂(てこなれいしんどう)です。手児奈(てこな)というのは奈良時代にこのあたりに住んでいた絶世の美女の名前です。歌人の山部赤人(やまべのあかひと)や高橋虫麻呂が万葉集で彼女の美を歌ったことでも有名です。
市川市の地域通貨・てこなを知ってますか?
市川市にお住まいの方は、地域通貨・てこなについて聞いたことがあるでしょう。地域住民がボランティアに参加した時にもらえたり、地元商店などで使えるてこなポイント。これは手児奈の名前からつけられました。
市川市では、てこなを住民基本台帳カードを利用して電子的に行う方式を採用しているそうですよ。古代の美女なのに最先端の電子通貨の名前にもなってるなんて面白いですね。
手児奈にまつわる悲しいお話
手児奈の言い伝えはこんな物語です。
昔このあたりに、評判の美女・手児奈が住んでいました。手児奈の美貌に魅せられた男たちは、彼女を巡って醜い争いを続けました。手児奈は自分が争いの原因になっていることを嘆き悲しみ、とうとう海に身投げをしてしまいました。
良縁祈願、安産祈願のご利益
手児奈の霊を慰めるため、文亀元年(1501)に弘法寺の第7世の日与聖人は手児奈霊神堂を建立しました。なんでも聖人の夢枕に手児奈が現れて、良縁・安産を約束すると誓ったからだとか。以来、手児奈霊神堂には良縁祈願、安産祈願の人々がたくさん参拝に訪れるようになりました。
人間だけでなく植物までも魅了される美貌
言い伝えによれば、手児奈が通る道の葦(あし)は、手児奈があまりに美しいために、彼女の肌を傷つけないように葉を片方しか出さなかったそうです。人間だけでなく植物でさえも虜(とりこ)にしてしまう手児奈。そのために争いが起こり、命を絶たねばならなかったとは……。宮古島の美女・マムヤの伝説と同じく、美しすぎるって罪なことですね。
高橋虫麻呂と山部赤人の歌
万葉集にて高橋虫麻呂はこんな風に詠んでいます。
勝鹿の真間の井を見れば立ち平し 水汲ましけむ手児奈し思にい
勝鹿の真間の井という井戸を見ていると、水際まで平らに土を踏んで水を汲んでいたという手児奈のことを思い偲ぶよ。
また山部赤人はこう詠んでいます。
葛飾の真間の入江にうちなびく 玉藻刈りけむ手児名し思ほゆ
葛飾の真間の入江に生えてなびいていた玉藻を刈っていたという手児奈の姿を思い描くよ。
1000年が経過しても美女として知られている手児奈
1000年以上も前の女性が、現代でも美女として知られているなんて不思議な気持ちになります。身投げをした手児奈本人がこのことを知ったらどう思うのでしょうね。伝説の美女になったなんて嬉しいと喜ぶかしら、それともやれやれ、もういい加減にしてよと呆れるのかしら?
歌手のさだまさしさんが奉納した縁結びの木
ところで手児奈霊神堂にはちょっと面白いものがあるんですよ。歌手のさだまさしさんが奉納したという縁結びの桂の木です。これは昭和56年(1980)に、当時市川市に住んでいたさださんが弘法寺に納めたもの。さださん当時28歳。愛の歌をたくさん歌っているからなのでしょうか。(2016年10月08日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
弘法寺(ぐほうじ)・手児奈霊神堂
住所 :千葉県市川市真間4-5-21
電話 : 047-371-2953
時間 :10:00〜16:00
拝観料:無料
駐車場:なし