千葉県富津市の金谷神社に安置されている巨大な円盤・鉄尊様。500年以上も前に海底から引き上げられたものです。千葉の不思議なオーパーツ・鉄尊様とはいったい何なのでしょうか?
昔は石の採掘で知られた鋸山(のこぎりやま)
千葉県富津市の鋸山(のこぎりやま)は房総半島の南部にある標高320mの山です。古くから良質な石材が採れることで知られていますが、1982年に採石を終了して今は観光地として数多くの観光客が訪れています。
鋸山の麓にある小さな神社・金谷神社
その鋸山の麓の入り口に金谷神社(かなやじんじゃ)があります。小さな神社なのでロープウェー乗り場に向かう人は素通りしてしまうことが多いようです。石の柵に一の鳥居があり、その奥にニの鳥居。どこの町にもあるようなとりたてて特徴のない神社かもしれません(失礼)。でもそれは実にもったいない!
千葉でもトップクラスのオーパーツを拝観
社殿向かって右側、端っこにある小さなお社を見逃してしまってはいけません。ここには千葉でもトップクラスの不思議な物体・オーパーツが安置されているのです。この緑色の屋根が目印です。
信仰の対象となっている大鏡鉄・鉄尊様
その不思議な物体とは大鏡鉄(だいきょうてつ)。地元の方は鉄尊様(てっそんさま)と呼んで長く信仰の対象となってきたものです。見るだけで不老長寿のご利益があると言われているんですよ。
直径1.6mの巨大な鉄製円盤
これがその鉄尊様です! 大きな鉄製の円盤で、直径は1.6m。厚さ11cm、重さは1.57トンもあります。片面の縁には幅6cmの枠があったと思われます。この巨大円盤は文明元年(1469)07月に金谷神社の近くの海から引き上げられました。
地元に伝わる鉄尊様の伝説
鉄尊様の言い伝えはこのようなものです。
7昼夜にわたって暴風雨が続いた翌日、神社の西約550mほどの沖合が異様に光っていました。村人が船を出して調べてみたところ、海の中に光る円形の物体を発見。村人総出で船を出して現場に到着しましたが、あまりにも重くどうしても引き揚げることができません。
疑問ばかりが浮かぶ鉄尊様伝説
そこで金谷神社の宮司が祈願すると、翌07月01日になって円盤は真っ二つに割れ、ようやく船に引き揚げることができました。そして金谷神社に奉納されて信仰されるようになりました。
でもいったい鉄尊様がいつ沈んだのか、どのように使われていたのか、なぜ海中に沈んでいたのに光り輝いていたのか──など疑問ばかりが浮かびます。
国学者・平田篤胤の「日本武尊命の船の鏡」説
江戸時代の国学者・平田篤胤(ひらたあつたね1776-1843)はヤマトタケルノミコトが「東国征討の時に使った船につけられていた鏡」ではないかと彼の著作『玉襷(たまだすき)』に書いています。でもそもそも日本武尊命自体の存在も東国征討も実際のものなのかどうかはっきりしていません。
1967年に行われた学術調査でわかったこと
昭和42年(1967年)には長谷川熊彦工学博士による学術調査が行われました。その結果、砂鉄を原料とした猟鉄(ねずみづく)を鍛造したものであることがわかりました。確かに金谷という地名は、鍛冶師やたたら師など金属に関わる職業との結びつきが深いですもんね。
長谷川博士の説に残る疑問点
製造年代は建長年間(1250年ごろ)と推測され、船で運ぶ途中に難破して海中に投げ出されて200年後に引き上げられたと考えられるそうです。でも200年も海に沈んでいたのに光り輝いていたとか、内部まで腐食せずに鉄が原型を留めているなんてあり得るのでしょうか?
そもそも15世紀の人力の船が、2つに割れたとは言え1.5トンもあるものを引き揚げることができるのでしょうか? さっぱりわからないことだらけです。
私としては個人的に墜落したUFOの機体の一部説を押したい
鉄尊様がいったい何であるのかについては、千葉教育大学の井上孝夫氏の論文『金谷神社大鏡鉄の由来について』(PDF書類)が非常に詳しい考察をされていますのでそれに譲るとして、『ムー』大好きな私としては墜落したUFOの機体の一部である説をプッシュしたいと思います。(2016年10月09日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
金谷神社(かなやじんじゃ)・鉄尊様(てっそんさま)
住所 :千葉県富津市金谷4020
拝観料:無料
駐車場:なし
関連URL:『金谷神社大鏡鉄の由来について』(PDF書類)