栄螺堂とは巻き貝のサザエような螺旋状の構造を持つお堂です。埼玉県本庄市の成身院・百体観音堂は外から見ると2階建てですが、中は3階建てになっている不思議な建築となっています。
日本3大さざえ堂の一つ
らせん構造を持つ仏教のお堂は各地にあるのですが、福島県会津若松市の栄螺堂、群馬県太田市の栄螺堂、そしてここ本庄市の百態観音堂は特に有名で、日本3大さざえ堂と言われます。福島県の栄螺堂は外側からも渦巻くような構造が見える世にも奇妙な建築でした。
浅間山噴火犠牲者の供養として建立
天明3年(1783)に浅間山の大噴火による火砕流やなだれ、大洪水で1500名以上の人が亡くなりました。その冥福を祈るために1972年に百体観音堂が建立されました。浅間山噴火犠牲者の供養のための建造物は関東各地にありますが、百体観音堂は中でも最も大きく荘厳なものです。
火災からまぬがれた巨大な鰐口(わにぐち)
実は百体観音堂は明治時代の1888年に火事で消失していますが、こちらの大きな鰐口(わにぐち)だけは奇跡的に火災をまぬがれました。大きさは直径180cm、厚さ60cm。重さは750kgもあります。1795年に鋳造されたものです。
火事、無住、供出、窃盗──の不運
火事で焼失後、明治43年(1910)に百体観音堂を再建。入仏式の時に安置されていた観音像は60体だけでした。けれども大正8年(1919)に今度は花火が元で本堂を全焼。そのショックでご住職が亡くなり無住寺に。
太平洋戦争中には供出命令で梵鐘や灯籠も失ってしまいます。さらに戦後のどさくさで半数以上の観音像が盗まれてしまいました。
観音像の寄進によってようやく100体に
まったくなんという不運続きのお寺でしょうか……。二回も火事になるわ、何度も無住になるわ、仏像は盗まれるわ──。でもその後は観音像の寄進によってようやく観音像がそろい、現在の形になったのでした。
秩父三十四観音、坂東三十三観音、西国三十三観音
階段を登ると、回廊がぐるりと建物の中をまわっています。お堂の中に小さいお堂が格納されている感じ。第一層は聖観音を祀る護摩堂を中心に秩父三十四観音が並んでいます。二層目は坂東三十三観音、三層目は西国三十三観音を安置。合計100観音。
100体の観音に参拝しながらお堂を巡る
市指定の有形文化財の三仏。阿弥陀如来像、釈迦如来像、薬師如来像。百体観音堂には文字通り100体の観音像が並んでいるのですが、お堂を時計回りに歩いたり登ったりしながら観音様に参拝し、別の通路を通って外に出るという一方通行の構造になっています。
右繞三匝(うにょうさんぞう)のさざえ堂
このような構造の礼法を「右繞三匝(うにょうさんぞう)」と言います。仏教において時計回りに三巡りするのは、死者に対する鎮魂の意味があるのだそうです。さざえ堂はどれも一方通行なので他の観光客と鉢合わせすることがない、不思議な構造になっています。
美しい花鳥風月の天井画
ふと天井を見ると美しい花鳥風月の日本画が描かれていました。江戸時代に建てられた元の観音堂は火事で焼失してしまっているので、それほど古い時代ものではありませんが色合いも鮮やかで美しい天井画です。
さざえ堂の構造は神秘的な信仰体験につながる
狭い通路をぐるぐると何度も曲がって歩いていると、方向感覚が失われます。ひっそりとしたお堂の中をたくさんの観音像に見つめられながら進むと妙に内観的な気持ちになります。同じ道を歩くことなくいつの間にか外に出る不思議なお堂は、神秘的な信仰体験につながるのかもしれませんね。
ほんの10分で100ヶ所の札所を巡る功徳
観音様の真言「オン アロリキャ ソワカ」とつぶやきながら百体観音堂を一周しました。ほんの10分ほどで100ヶ所の札所をお参りして功徳を得られるとはありがたいことです。薄暗いお堂から一転して外の明るい日差しの元に出ると少し目眩がしました。(2016年07月17日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
成身院 百体観音堂(じょうしんいん ひゃくたいかんのんどう)
住所 :埼玉県本庄市児玉町小平597
電話 :0495-72-6742(本庄市観光農業センター)
時間 :10:00~16:00
休業日:木曜
拝観料:300円
駐車場:無料