戦時中の児童になって防空壕体験「埼玉ピースミュージアム」【埼玉】

埼玉平和資料館
戦争の悲惨さを後代に伝えるため設立された埼玉ピースミュージアムでは、戦時中の空襲を疑似体験したり戦争関連の資料を閲覧できます。防空壕の中での地響きをぜひ体験してください。

戦争の悲惨さをひきつぎ、平和にたいする意識を高める

埼玉平和資料館
第二次世界大戦(1939-1945)が終結して70年以上が経ち、戦争を実際に体験した人はだんだん少なくなっています。埼玉県東松山市の埼玉ピースミュージアム(埼玉平和資料館)は、風化しつつある悲惨な戦争体験を次の世代にひきつぎ、平和に対する意識を高めるため1993年に設立されました。

昔の小学6年生って小さい!

埼玉平和資料館
非常に真面目な施設なので珍スポットと呼ぶのははばかられますが、凝った作りのシミュレーターや貴重な展示品が多いのでぜひ当ブログでご紹介しようと思いました。入り口には戦時中の小学6年生の等身大パネル。昔の子供って小さいんだなあ……。

当時の兵隊さんのリュックを背負ってみよう

埼玉平和資料館
第二次世界大戦の兵隊さんの背嚢(はいのう:当時の兵士の通常装備のリュック)を背負う体験。この背嚢なんと15キロ以上あるんです。こんなもんを背負った上に、銃や鉄帽を装備してよく走ったりできたものだと驚きました。昔の日本人男性って多分私と背丈それほど変わらないんじゃないかしら。

タイムトンネルを抜けて戦争時代の日本へ

埼玉平和資料館
タイムトンネルという名の動く歩道。このトンネルを抜ければ、昭和20〜40年代の日本にタイムスリップできるというわけ。さあ戦争時代の日本へ行ってみましょう!(でも全然ウキウキ気分じゃなくて、気が進まないけど)

国民学校の児童になりきって登校

埼玉平和資料館
時代は1945年の夏のある日。場所は国民学校(当時の小学校)です。小鳥のさえずりやセミの鳴き声がするさわやかな朝。国民学校の児童になりきって学校に登校します。先生、おはようございます!

軍国時代の修身の授業を受ける

埼玉平和資料館
始業の鐘がなりました。ちっちゃな木の勉強机に座ると、黒板前のスクリーンに先生が登場しました。修身の授業のはじまりです。修身とは旧制の小中学校の科目の一つで、道徳教育や戦時中は軍国的な教育も行われました。

室内は撮影可能ですが、スクリーンに映る映像は撮影禁止となっています。

空襲警報! 防空壕へ急げ!

埼玉平和資料館
スクリーンに映るのは現代の学級崩壊の対極にあるような統制がとれた授業です。児童たち、いえ同級生たちの頭の良さに感心していると、いきなり空襲警報のサイレンが鳴り出しました。先生も「空襲警報だ!」と緊張した面持ちです。

校庭に掘られた防空壕で空襲体験

埼玉平和資料館
みんなで校庭の地面に掘られた防空壕へと急ぎます。あたりは真っ赤に染まっています。あちこちで火事が起こっている模様。B29爆撃機の爆音や機銃掃射、焼夷弾の爆音が轟いています。は、早く逃げなきゃ!

【動画】ライト、音、振動によるバーチャル空襲

防空壕の中の様子を動画でご覧ください。ひっきりなしに続く爆音だけでなく、地面が小さく揺れて地響きがしているのです。しばらくするとようやく空襲も止んで家に帰ることができました。あたりは夕暮れ時になっていました。ライト、音、振動でリアルなバーチャル空襲体験でしたよ。

戦前と戦時中の一般家庭の比較

埼玉平和資料館
校舎の隣につくられた一般の民家を再現した建物。戦前はちゃぶだいにいくつかおかずの乗った食事。狭いながらも楽しい我が家。戦中になると敵に狙われないよう照明にに黒い布をかけてあるので薄暗く、ちゃぶだいにはすいとんのみの貧しい食卓でした。

窓ガラスには飛散防止のテープ

埼玉平和資料館
爆撃によるガラスの飛散を防ぐために、窓には格子状に補強の紙テープが貼られています。戦争中はろくなものも食べられず、みんな小さくなって息を潜めて生活していたんですね。やだー、こんな生活……。

当時は安価な粘着テープはなかったので、おそらく障子紙や和紙をテープ状に切って糊で貼っていたと思われる。

戦争に関する貴重な資料

埼玉平和資料館
展示室には戦争関連の貴重な資料がガラスケース展示されています。手前は太平洋戦争時の世界情勢を表した地球儀。いや、さっきの国民学校の先生は当時は太平洋戦争ではなくて、大東亜共栄圏を建設するための聖戦・大東亜戦争と言ってたっけ。

日本陸軍の秘密兵器・風船爆弾

埼玉平和資料館
これは日本陸軍が開発した秘密兵器・風船爆弾(秘匿名称は「ふ号兵器」)のレプリカ。気球に爆弾を搭載し、ジェット気流によって自動的に敵国アメリカに運び爆破させるという画期的なアイデアでした。和紙やこんにゃく糊を使い、当時あまり知られていなかったジェット気流を利用するなど、よくもこんな奇想天外な兵器を思いついたものだと感心しました。

風船爆弾は島田荘司先生の御手洗潔シリーズ『戻り橋と悲願花』で読んでいたのでより胸にせまるものがありました。

9300の風船爆弾のうちアメリカには1000個ほど到達したと言われている。それほど大きな戦果はあげなかったが、アメリカ軍は生物兵器を搭載や、日本兵が風船とともに上陸することを懸念しており、恐怖を植え付けるという大きな心理的効果はあった。

埼玉でも大きな空襲被害

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関東の空襲というと東京大空襲がすぐに頭に浮かびますが、実は埼玉県もかなりの被害を出しています。1945年08月15日0時23分から1時39分にかけての熊谷空襲は、太平洋戦争最期の空襲であり埼玉最大の空襲被害となりました。熊谷市街地の全戸数の40%が焼失、人口の28%が被災しました。

展望台で平和の尊さを噛みしめる

埼玉平和資料館
隣接した展望台に登ってみました。高さ40メートルからの眺めはすがすがしく、緑豊かな埼玉県を一望できます。他には観光客もおらずひっそりとしていたので、戦争の展示を思い出してより一層胸が苦しくなるような思いがしました。ああ、本当につくづく平和な現代に生まれてよかった。

撮影には入り口で申請の必要があります

埼玉平和資料館
なお、埼玉ピースミュージアムでは館内の撮影は申告が必要です。受付で撮影の旨を伝えるとこのような撮影許可証をもらえますので、首から下げて見学しましょう。(2016年07月17日訪問)【麻理】

参考文献

地図&情報

埼玉ピースミュージアム・埼玉平和資料館(さいたまへいわしりょうかん)

住所 :埼玉県東松山市岩殿241-113
電話 :0493-35-4111
休館日:月曜・年末年始
入館料:無料
時間 :09:00~16:30
駐車場:無料
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