ここはインカかマヤか? 古代神殿を探検「八幡山古墳」【埼玉】

八幡山古墳
インカ神殿? マヤ遺跡? いいえ埼玉県行田市の八幡山古墳です。巨大石室に入れば南米の古代神殿を探検しているかのような気分にひたれます。埋葬者はいったい誰か、謎に迫ります。

八幡山古墳は関東では最大規模の円墳

八幡山古墳
古墳と言えば京都や奈良といったイメージですが、埼玉県には吉見百穴丸墓山古墳など古代の遺跡が点在しています。八幡山古墳(はちまんやまこふん)は直径80m、高さ9.5メートルの円墳で関東では最大規模。埼玉県の史跡に指定されています。

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昭和の初めに行田市の土地開発で発見

八幡山古墳
八幡山古墳は1934年(昭和9年)に行田市の干拓工事で発見されました。当時は遺跡保存の意識が低く長らく放置状態にされていましたが、1981年(昭和56年)に復元工事が完成しました。奈良県明日香村の石舞台古墳にちなみ、「関東の石舞台」と呼ばれています。

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かつてこの古墳の上には9.5mほどの高さの盛り土があったが江戸時代後期にはこの石室の一部が露出していたと言われ、その存在が知られていた。

関東の石舞台は奈良の石舞台よりも迫力がある!

八幡山古墳
奈良の石舞台も確かにすごかった。でも八幡山古墳の方がずっと迫力がありますよ。天井の石の間から漏れる陽の光が神秘的ですし、こちらのほうが規模が大きいですね。でも奈良の石舞台に比べて知名度が低いのはなぜ?(奈良の石舞台は観光地として発展しています。行政も全面バックアップ)

大勢の人に来てほしいような、来てほしくないような

八幡山古墳
もっとたくさんの人に足を運んでほしい──と思いましたが、誰もおらずひっそりとした石室に足音を響かせていると、まるで冒険映画の主人公になったよう。気分はララ・クロフトかインディージョーンズ。ここは知る人ぞ知る古墳という方が良いのかも。

パズルのような石組みは南米の神殿を思わせる

八幡山古墳
石室自体の全長は17m。幅は5m。入り口の羨道(せんどう)と前室、中室、奥室の3室が一列に並んでいる形です。直線状に切られた石がパズルみたいにきっちり組み合わさっています。エキゾチックで南米の神殿を思わせる内装です。

床も切石が敷き詰められている

八幡山古墳
床も直線状の切石が敷き詰められていて豪華。ひょっとしたらもともとは古墳ではなく、神殿か高貴な身分の人の住居として作られたものが死後古墳に転用されたのかもしれません。そういえば飛鳥の石舞台も、古墳ではなく蘇我氏が作った神殿住居・島の宮ではないかとも言われていますね。

物部連兄麻呂(もののべのむらじえまろ)の墓か?

八幡山古墳
古墳内部からは棺の破片や仏教の法具が発見されており、おそらく7世紀前半から7世紀中頃に建造されたと考えられています。聖徳太子の舎人(とねり:召使)で武蔵国に派遣されていたの物部連兄麻呂(もののべのむらじえまろ)の墓という説もありますが、はっきり分かっていません。

皇族のみが葬られる夾紵棺の一部が出土

八幡山古墳
神殿住居か、はたまた墓か。八幡山古墳では聖徳太子廟、天武・持統天皇陵などで見つかった夾紵棺(きょうちょかん) の一部が発見されています。墓にせよ神殿住居にせよ、とても身分の高い人物のものであることは間違いありません。

夾紵棺は、最高級の棺。粘土で棺の型を作り、漆と布を交互に塗り重ねたもの。夾紵棺の使用例は奈良県に数件しかなく、被葬者はどれも皇族関係者である。

インディー・ジョーンズやララ・クロフト気分でどうぞ

八幡山古墳
八幡山古墳は八幡山公園の一画にあり、土日祝日のみ入り口の扉が開けられます。インディー・ジョーンズやララ・クロフトなど探検家の気分を味わいたい方はぜひ公開されている日時に足を運んでみてください。(2016年07月17日訪問)【麻理】

参考文献

地図&情報

八幡山古墳(はちまんやまこふん)

住所 :埼玉県行田市藤原町1-27-2
休業日:平日・年末年始(土・日・祝日のみ公開)
入場料:無料
時間 :10:00~16:00
駐車場:無料

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