本日から新潟県特集が始まります。最初は新潟県糸魚川市の西端に連なる親不知(おやしらず)です。15kmも続く断崖絶壁は、昔から「天下の険」と呼ばれるほどの交通の難所でした。その名前の由来にも迫ります。
新潟へ来たら日本海を見なくては!
晴れ渡った青空のもと、新潟県へとやってきました。新潟といえばやはり日本海ですよ。風光明媚な美しい海を見ようと親不知海岸の道の駅・ピアパークにクルマを走らせました。
観光地として有名だけど地名にはない「親不知」
あちこちに「親不知」と書かれた標識や看板があります。でも実は親不知という住所は存在しないんですよね。でも親不知の断崖絶壁は、地元の人だけでなく何百年も前から全国的に有名な観光地となっています。
なぜ親不知(おやしらず)と言うの?
ところでなぜ親不知(おやしらず)なんて名前なんでしょうね? 一説にはこの地は昔から難所として知られていて、あまりに危険すぎて波打ち際を歩く時に親子がお互いのことを気遣うことさえできなかったからと言われています。
平安時代の悲しい伝説
また別の説ではこんなものもあります。平安末期の源平合戦真っ只中の時代。越後の国に移った平頼盛(たいらのよりもり)を追って妻がこの地にたどり着いたのですが、親不知で我が子を海に落としてしまい、悲しみのあまり「親しらず 子はこの浦の波まくら 越路の磯の泡と消えゆく」と歌を読んだと言われています。
松尾芭蕉もヘトヘトになって旅をした難所
この地を訪れた松尾芭蕉は『奥の細道』の中で「今日は親しらず子しらず犬もどり駒返しなど云いう北国一の難所を越てつかれ侍れば」とも書いています。「今日は親不知、子知らず、犬戻り、駒返しという北国一の難所を超えて疲れ切ってしまった」ということです。親不知ははるか昔より大変険しい陸路として知られていたんですね。
正確には親不知子不知(おやしらずこしらず)と言います
松尾芭蕉の記述にある通り、この地は正確には親不知子不知(おやしらずこしらず)といいます。西側の市振(いちぶり)地区までが親不知で、東の勝山地区までが子不知と呼ばれていて、両方あわせて親不知子不知ですね。一般的には親不知で通っています。
明治時代、大正時代、昭和の時代の変化
そんな難所・親不知にも明治16年に国道8号線が敷かれ、大正元年には北陸本線が通じ、今では全国初の海上インターチェンジである北陸自動車道も建設されています。かつての危険で荒々しいイメージとは様変わりして、たくさんの親子連れで賑わう観光スポットとなりました。
親不知ピアパークのシンボル・ミリオン
こちらは道の駅・親不知ピアパークのシンボルとなっているミリオンというウミガメの像。全長6m、重さ5トン。世界一のブロンズ製ウミガメ像だそうですよ。竜宮城に連れて行ってくれそうな大きさです。ウミガメのヒレにたくさんの貝殻が付着していてスーパーリアル!
今の穏やかさからは想像もできない苦しい旅
昔の人は海の様子を見ながら波が引いた時に全速力で砂浜を駆け抜け、波が襲ってきたら洞窟に逃げ込みつつここを渡ったそうですよ。生きるか死ぬかの瀬戸際で走り抜けたから、ここは親不知なんですね。今の穏やかな海からは想像もできない苦しい旅だったでしょうね。(2019年05月03日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
親不知海岸(おやしらずかいがん)・親不知ピアパーク
住所 :新潟県糸魚川市外波903-1
電話 :025-561-7288
休業日:レストピア:年末年始
おさかなセンター:年末年始
漁火:水曜日・年末年始
翡翠ふるさと館:火曜日・年末年始
時間 :09:30~17:00(施設によって異なります)
入場料:無料
駐車場:無料(普通車229台)