好きな色はと聞かれたら「ゴールド」と秒で答えるワタクシ。新潟県佐渡ヶ島に来たならば佐渡金山に足を運ぶのは当然です。金山の過酷な労働の歴史を実際の坑道で学びます。金の延べ棒のつかみ取りにも挑戦!
総延長400kmに広がる佐渡金山の坑道
佐渡金山は慶長6年(1601)より400年以上の歴史がある日本最大の金銀山です。その主要金脈は8本あり、東西3000m,南北600m。その深さは800mにも広がっていました。金を採掘するために掘り進めた坑道はなんと総延長400km! これは佐渡から東京までの距離とほぼ同じです。
江戸時代の坑道を再現した宗太夫坑(そうだゆうこう)
江戸初期の坑道を博物館として公開している宗太夫坑(そうだゆうこう)に入ってみました。ここは江戸時代に描かれた佐渡金山絵巻を元に、マネキンやロボットを使って当時の様子を再現しているんです。もうこの時点で「珍」の香りが濃厚に漂っております。
小さな子供も「ほりこ」として働く
え、ちょっと待って。いきなり子供が働いているではないですか! 明らかに児童労働。超ブラック!──と思うのは我々現代人の感覚。金堀り大工が掘った鉱石を坑道の外へ運ぶ仕事をする人を「ほりこ」と呼んだのですが、小さな子供も大事な働き手としてこのほりこをしていたんですね。
金の採掘は水との戦い
18世紀ごろの佐渡金山は海水面よりも深いところまで坑道が掘られていました。なので下に掘り進めるほど地下水が湧いてきて坑道の中が水浸しになってしまいました。金の採掘は「水との戦い」です。排水のしごとをする「水替人足(みずかえにんそく)」は昼夜交代の最も辛い仕事でした。
二度と来まいぞ金山地獄 来れば帰るあてもない
水替人足が不足してくると江戸幕府は江戸や大阪の仕事がない人たちを佐渡に送り込みました。一攫千金の大逆転を狙って人が集まりましたが、ろくな食事も与えられずに奴隷のように働かされました。「二度と来まいぞ金山地獄 来れば帰るあてもない」と当時の人夫が歌った歌も残されています。……やっぱ超絶ブラックでしたね。
資料室で佐渡金山の歴史を学ぶ
明治時代に産業革命が起こるまでの佐渡金山はまさに地獄のような労働環境でした。夢やぶれて病気や怪我で死んでしまった人も多かったでしょうね。
やや暗い気持ちになりながら進むとその先に資料室があります。ジオラマや当時の道具などの展示があり、佐渡金山の歴史を深く知ることができます。
江戸時代の金に関わる仕事をジオラマで再現
江戸時代の金に関わる人達の仕事が人形で再現されていました。鉱石が小判になるまでの段階を知ることができます。採掘して、採掘した石から金を選り分けて、金を溶かして製錬、そして鋳貨(ちゅうか:貨幣を作ること)。これを人力でやっていたんだから大変ですね。
ホッとするお風呂屋さんの風景
こういうジオラマでつい探してしまうのがトイレとお風呂。こちらはお風呂屋さんの風景。採掘作業でどろどろに汚れた身体をお湯で流してきれいサッパリ。番台のおじさんものんびりしてるみたい。こんな姿を見ると人間味があってホッとします。
資料館の一角になぜか人だかりと行列が!
資料室は1室だけなのでそこまで広くないのですが、一角に人だかりができています。結構な行列になっていますよ。なんだなんだと見に行ってみました。
本物の金塊のつかみ取り!?
ガラスケースに穴が空いていて、中には金の延べ棒が置いてあります。「本物の金塊だよ! 見て触れて取り出して……ルール 制限時間30秒以内に素手で完全に取り出すことです!」とあります。えっ! ひょっとして取り出せたらもらえちゃうの? こりゃ挑戦するしかない!
金塊を取り出すことに成功すると記念品がもらえます
いやもらえるわけないです。成功すると記念品がもらえます。でも誰も取り出すどころか持ち上げられない人ばかり。金塊の重さは12.5kg。普段私は片手10kgのダンベルカールをしています。1レップ(1回)だけならできるかもしれない! よっしゃ、日頃のトレーニングの成果見せてくれる!
黄金のティッシュボックスなら簡単なんだけどな……
撃沈しました。穴の角度的にうまく力が入らないし、たとえ持ち上げられても穴に金塊を握った手がひっかかってしまいます。つまり指先のみでつまむように金塊を持ち上げないと取り出せません。こりゃ芳賀セブンさん並のバルクがなきゃ無理だわ(言い訳)。
かわりにお土産屋さんで金のティッシュボックスを買いました。こっちは超軽いのでお持ち帰りできますよ。(2019年05月05日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
佐渡金山・宗太夫坑(さどきんざん・そうだゆうこう)
住所 :新潟県佐渡市下相川1305
電話 :0259-74-2389
休業日:年中無休
時間 :08:00~17:00(冬季は16:30)
入場料:大人900円
駐車場:500台
関連URL:史跡 佐渡金山