180年以上続く新潟市南区の郷土芸能・角兵衛獅子(かくべいじし)。小さな子供が健気に逆立ちしたり、踊ったり。越後獅子とも呼ばれる児童の大道芸です。そんな角兵衛獅子をテーマにした博物館・月潟郷土物産資料室へ行ってきました。
角兵衛獅子の発祥地月潟村
2005年以前は西蒲原郡月潟村という雪深い農村地帯であった月潟(つきがた)。現在は新潟市南区となっていますが、のどかな田舎町の風景が広がっています。空が広くて清々しいです。そんな月潟は角兵衛獅子の発祥地として知られています。
みうらじゅん先生一押しスポット
なぜここに来たのかというと1998年発行の『全国お宝スポット魔境めぐり!』という珍スポットのバイブルに、みうらじゅん先生が一押しスポットとして寄稿していたからなんです。なぜか当時のじゅん先生は角兵衛獅子がマイブームで、この博物館までわざわざ足を運んでいらっしゃってたんですね。
角兵衛獅子の技・金のしゃちほこ
角兵衛獅子。子供が曲芸をする芸能──ぐらいの薄ぼんやりとしたイメージしかありませんでした。そしてどことなく物悲しいような印象がありました。これは金の鯱鉾(きんのしゃちほこ)という技で、三点倒立のように逆立ちする芸です。ちなみに名古屋の芸者さんもこれを練習するんですよね。
博物館入り口の角兵衛獅子ブロンズ像
博物館入り口には舞い込み、唐子人形お馬乗りといった角兵衛獅子の芸がブロンズ像となっています。この制作者は旧月潟村在住の植村修という方だそうです。獅子の子落としは結構アクロバティック。肩と首でもうひとりの子を逆さまに支えます。
角兵衛獅子の起源は?
角兵衛獅子の起源はいろいろな説があります。一つには父・角兵衛を殺された息子二人が軽業で全国を巡業しながら父の仇(かたき)をうつというもの。また一つには月潟はいつも川の反乱に悩まされており、角兵衛が農業のかたわら芸能を村民に教えて家計の支えにしたというもの。
明治、大正、昭和で衰退してしまった角兵衛獅子
明治期に入ると小さな子供が虐げられていると見られるようになり、昭和8年の「少年虐待防止法」によって子供を使った軽業や大道芸が禁止となり、角兵衛獅子も衰退していきました。
昔は親方が子どもたちにムチをふるって体罰で芸を仕込んでいたとも、貧しい家の子供をお金で買って働かせていたともいいます。なんとなく可愛そうなイメージがあったのも、こういう歴史があったからなんですね。
地元保存会の努力によって脚光を浴びる
しかしながら昭和30年代には角兵衛獅子保存会の努力によって、小中学生による角兵衛獅子が再び脚光を浴びるようになりました。昭和47年には天皇陛下の御前演技も実現し、新潟の郷土芸能として定着しました。今では月潟まつり・伝統芸能フェスティバルはちびっこたちによる角兵衛獅子のハレの舞台となっているんですね。
ちっちゃい子が一生懸命頑張る姿をビデオで
この資料室は月潟で角兵衛獅子研究に尽力された、元長岡聾学校校長の故 関本賢太郎先生の遺品を元に作られたそうです。資料室のビデオで子どもたちが飛んだり跳ねたり演じている様子を見ましたが、ちっちゃい子が一生懸命頑張っている姿を見るだけで胸が熱くなります。私もおばちゃんだもの。
今ではクラブ活動のようなイメージでしょうか
熱心に写真を撮影したりメモを取ったりしていたので、スタッフの方が体育館に案内してくれました。ここで小中学生が角兵衛獅子を練習しているそうですよ。現代の角兵衛獅子は暗いイメージ、可愛そうなイメージは全く無くて、クラブ活動のような感じみたいですね。
【動画】動画で見る子どもたちの角兵衛獅子
緞帳(どんちょう)には4人の角兵衛獅子。真ん中の二人の技は「唐子人形お馬乗り」ですね。新潟市南区観光協会のYouTube動画がありました。2018年の公演です。いっぱい練習したんだろうなあ。よく頑張りましたね。皆様、ぜひご覧になってくださいね。
健気な子どもたちを見ると心にグッとくる
みうらじゅん先生がなぜそんなに角兵衛獅子に夢中だったのかはよく分かりませんでした。でも子供が健気に頑張る姿は、中高年の心にグッとくるものがあるんですよね。一生懸命な姿を見てるだけで涙腺が緩むというか。地元の小中学生を応援したくなるスポットでした。えいえいおー!(2019年05月06日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
月潟郷土物産資料室(つきがたきょうどぶっさんしりょうしつ 旧角兵衛獅子資料館)
住所 :新潟県新潟市南区西萱場1069農村環境改善センター内
電話 :025-375-5500
休業日:毎月第3木曜日(休日の場合は翌日)、年末年始(12月29日から翌年1月3日)
時間 :09:00~22:00
入場料:無料
駐車場:無料
関連URL:新潟市指定無形民族文化財 角兵衛獅子 | 新潟市南区観光協会