(休館・2024年8月閉館)亡くなった2万人の若者を知る私設博物館「予科練資料館」【大分】

予科練資料館
記事をきっかけに訪れる方が増えることを願って、大分県にある戦争の資料を集めた私設ミュージアム・予科練資料館をご紹介します。元特攻隊員の館長さんにお話をうかがいました。

2024年8月14日に閉館が予定されています。追記参照のこと。大変残念です。楽しい想い出をありがとうございました。

戦争の悲惨さを伝えるために設立

予科練資料館
予科練資料館(よかれんしりょうかん)の館長さんは大正15年生まれの川野喜一さんです。元特攻隊員の川野さんは、戦争の悲惨さや兵士として亡くなった若者たちについて人々に伝えるためこの資料館をご自宅に設立しました。

元特攻隊員の川野さん

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川野さんは16歳の時に茨城県土浦海軍航空隊に入隊しました。終戦の8月15日までに4回の神風特別特攻隊が出撃しましたが、川野さんは16日に出撃予定だったためギリギリで命拾いをしたわけです。

戦争を美化しているわけではない

予科練資料館
川野さんは戦争や戦死した若者たちを美化するつもりはないとおっしゃいます。しかし「戦争は悪」として歴史を教えず、なかったこととするような今の教育に対して憤りを感じていることや、資料を見て戦争について考えてほしいと願っていることをお話くださいました。

遺品や資料が並べられた館内

予科練資料館
館内にはぎっしりと戦争関係の資料や遺品が並べられています。日本国内だけでなく海外からも取材が来ているそうです。これはハンガリーの知事から送られた、平和活動・友好親善活動に対する感謝状です。川野さんはにこやかに一つ一つの資料を解説してくださいましたが、お話を伺うほど胸が詰まってくるような気がしました。

まだあどけない顔だちの青年たち

予科練資料館
天井近くには死ぬために飛行機に乗らなければならなかった特攻隊員の写真が並んでいました。20歳前後のまだあどけない顔だちです。そんなに遠くない昔の日本で、戦死された若者は18,900名(うち特攻戦死2534名)もいたそうです。

壁一面に特攻隊員の遺書

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壁に一面特攻隊員の遺書が写真とともに貼られていました。残された家族に宛てたものです。どれも美しい字でしたためられています。

「『どうかよく死んでくれた』とそう言ってください」

「写真は受け取ったと泣かずにほめてください」

「命のあるうちは徹底的に頑張り抜く覚悟でおります」

もうたまらないです。「僕はこんなことで死にたくない、助けて!」と書かれたものがひとつもないのが辛い。これが最後に家族に伝える言葉なんでしょうか。20歳ぐらいなんて人生で最も鮮やかで美しく楽しい時期だろうに。

遺品の航空術のノート

予科練資料館
航空術と表紙に書かれたノートには、綺麗な字でグラフや計算式が書かれていました。こんな頭の良い人が若くして亡くなるなんて国としても大きな損失です。予科練を志願した学生さんたちはみんな真面目で正義感が強い人だったのかもしれません。

紛失してしまう遺品・資料

予科練資料館
生き残った隊員も現在では高齢化したり亡くなったりしています。遺品や資料が紛失してしまうだけでなく、戦争体験を語る人々が少なくなっているのが非常に残念です。川野さんがいなければ、これらの品々は散逸してしまっていたでしょう。

戦争と向き合う川野さん

予科練資料館
ご存命でも悲惨な体験を語りたくない、目をつぶりたいという方も多いと思います。そんな中、戦争と真正面に向き合って考え、人々に伝えたいという熱意を持っている川野さんは本当に勇気のある方だと感じました。(2006年12月13日訪問)【麻理】

当ブログは「日本珍スポット100景」ですが、珍スポットだけでなく真面目なスポットも数多くご紹介しています。この記事ではちゃかしたりする意図は全くなく、一人でも多くの方が訪れて下さることを願って丁寧に記事にしたつもりです。目を通して下さったあなたには言うまでもないことですが念のため。

追記:2023年12月06日

川野喜一さんは2021年に95歳で亡くなりました。その後息子の孝康さんによって引き継がれましたが休館の状態となっていました。予科練資料館は2024年8月14日に閉館予定です。

元特攻隊員が開設の「大分予科練資料館」閉館へ 収蔵品一部は県護国神社に移し保管

平和の大切さを伝えてきた大分市上野丘の「大分予科練資料館」が閉館する。元特攻隊員の川野喜一さんが1988年に私設で開いて館長を務めてきたが、2年前に95歳で亡くなった。現在は予約客だけが見学できる。管理する長男孝康さん(67)は「1人で守り続けるのは難しい」と悩み、終戦80年の節目を前に幕を下ろすことにした。収蔵品の一部は県護国神社などに移し保管する。
資料館には、若くして亡くなった特攻隊員の遺書をはじめ日の丸の寄せ書き、ゼロ戦のプロペラ、戦時中の飛行服など約3千点を並べている。
喜一さんは特攻隊員として出撃する2日前に終戦を迎えた。「亡くなった戦友たちの思いを知ってもらうのが生き残った者の使命」と考え、自宅1階を改装して開館した。広さは約120平方メートル。
私設は珍しいとあって国外からの来館者もいた。近隣の小学校は平和学習の場として活用。喜一さんは予科練の帽子をかぶって体験を語り、館内で線香をたいて戦友を弔う日々を送っていた。
5年ほど前に喜一さんが体調を崩して以来、資料館は休館状態となった。亡くなった後は再開のめどが立たず、ホームページなどを通じて予約があった場合のみ、市内の別の場所に住む孝康さんが駆け付けて応じている。
仕事の合間での対応は限度があり、「私の後に引き継ぐ人はいない。貴重な資料をいつまで保管し続けられるのか」と考えた。「戦没者を慰霊し続けたい」という喜一さんの遺志を尊重し、一部を護国神社に寄託することにした。
神社は公開できる場を設ける方針。孝康さんは資料の移管にめどが立てば閉館式を営むという。「戦後78年がたち、当時を知る人も少なくなっている。資料館は閉じても、収蔵品を残すことで父の思いを後世に伝えていきたい」と語った。

2023/10/11(水) 03:00 大分合同新聞 Gate

参考文献

地図&情報

予科練資料館(よかれんしりょうかん)

住所 :大分県大分市上野が丘1-7-16 川野さん宅
電話 :097-543-1430
時間 :川野喜一さんがいらっしゃる時
入場料:100円
駐車場:1台分のみ。要事前予約。
関連URL:予科練資料館

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