宮古島の人々はどこから来たのか?「上比屋山遺跡」【宮古島】

上比屋山遺跡
宮古島の言葉は非常に特徴的で、沖縄本島出身の人でさえリスニングが難しいと言われます。独特の言葉を持つ宮古島の人々はどこから来たのか? 歴史ロマンに浸れる場所をご紹介します。

神秘的な雰囲気の遺跡

上比屋山遺跡
やってきたのは宮古島の南にある、上比屋山遺跡(ういぴゃーやまいせき)。冒険心をくすぐられる素晴らしい遺跡でしょう? ここは14〜15世紀頃の集落跡です。樹木に覆われた森の中に琉球石灰岩の石積みの壁と茅葺きで作られた建物が点在しています。神秘的な雰囲気にワクワクが止まりません。

地元の方の信仰の対象

上比屋山遺跡
これらの建物群は御嶽(うたき:拝所)で11ヶ所存在しています。沖縄県指定文化財となっているので見学は自由なのですが、現在も神聖な場所として地元の方の信仰の対象になっていますので、ここで騒いだりするのはいけません。はしゃぎすぎないように気をつけましょう。

たくさんの陶磁器が出土

上比屋山遺跡
遺跡からは地元産土器の他、中国産の青磁・白磁・染付・褐釉陶器などが出土しています。しかし上比屋山遺跡の発掘研究はまだ進んでおらず、この集落がいったい何なのかは歴史学者の間で今も論争になっています。

倭寇のアジトか港町?

上比屋山遺跡
有名な論争は、郷土史家・教育者である稲村賢敷(いなむらけんぷ)の「倭寇根拠地説」と、考古学者・下地馨(しもじかおる)の「海外貿易中継基地説」です。1964年の紙上論争は上比屋山遺跡が脚光をあびるきっかけとなりました。ここは大和の国からやってきた海賊のアジト? それとも貿易で栄えた港町?

宮古島の人々はどこから来たのか?

上比屋山遺跡
14〜15世紀ごろは宮古島と沖縄王朝の交流が始まった時期です。沖縄全体、または大和から人々が宮古島に行き来するようになりました。「うりひゃ~! ゴーヤー茶のブログ」様では、宮古の言葉には琉球王朝語が成立する以前の古い語が多く残り、独自性の強い言語であることから、宮古島の先祖に関する興味深い考察をされていますよ。

だんだん消えて行く宮古口(宮古島方言)

上比屋山遺跡
宮古島の独特な言葉や論争の的になっている上比屋山遺跡は、私たちの想像をかきたてます。ただこれはどの地方でも言えることですが、若い人や子供は、土地の言葉を聞く機会が少なくなっているので、宮古口も消えていく運命にあるのかもしれません。そうなると言語的なアプローチは今後難しくなっていくでしょうね。上比屋山遺跡も謎のままになってしまうのでしょうか。

遺跡にまつわる不思議な伝説

上比屋山遺跡
ところで資料を探していたら、上比屋山遺跡にまつわるこんな伝説を知りました。

昔、夫テクコ(天てくこ)、妻ボナサラ(天のふなさら)の夫婦がいたのですが、大津波で亡くなりました。一人残された息子のサニャープズ(佐阿祢大氏〔さあねおおち〕)は、竜宮から来た女神ムマニャーズ(む母〔ま〕の按司) と結ばれ7男7女に恵まれました。この祭場の祭神は、そのサニャープズ、ムマニャーズと二人の長男の金殿-鉄の農具を普及させた農耕・穀物の神-だそうです。
(引用元:あとりえめ たゆたう日々(リンク切れ))

『宮古史伝』(慶世村恒任)、P62の「佐阿根大氏(さあねおおじ)と龍宮の姫」に、テクコとボナサラの記述があります。

龍宮伝説との結びつき

上比屋山遺跡
沖縄のエネルギースポット(聖地)(※リンク切れ)」様のサイトでも、竜宮から来た美女が貧しい若者のもとに来て、男女7人をもうけた後に、津波よけの法を授けて竜宮に帰った──という伝説が書かれています。龍宮伝説との結びつきもあるなんて、ますます興味がそそられるではありませんか。

冒険心あふれるあなたにお薦めのスポット

上比屋山遺跡
この集落跡の奥にはトゥンカイフツイスと呼ばれる石造りの遠見台や、友利のあま井という自然洞窟の井戸もあります。エキゾチックで見所も多い、上比屋山遺跡。冒険心あふれるあなたにぜひおすすめしたい場所です。(2011年04月20日訪問)【麻理】

参考文献

地図&情報

上比屋山遺跡(ういぴゃーやまいせき)
住所 :沖縄県宮古島市城辺砂川
電話 :0980-73-1881(宮古島観光協会)
時間 :見学自由
料金 :無料
駐車場:無料
関連URL:2006年06月20日:うりひゃ~! ゴーヤー茶のブログ

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