高知県安芸市には珍しいお地蔵様があります。その名も寅さん地蔵。たいしたもんだよカエルのションベン、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし。寅さんの口上と言ったらこれですよね。
伊尾木洞のついでにぜひ
前回、高知県安芸市の伊尾木洞(いおきどう)をレポートしましたが、寅さん地蔵はそのすぐ近くにあります。国道55号線から右手に入った細道の途中。それぞれ100メートルぐらいしか離れていませんのでぜひ両方お立ち寄りくださいね。
パ~、パラパラパラパ~、パララ~、パラパラパラ~♪
はい、どうみても寅さんです。トレードマークの帽子にだぼシャツ、背広(あくまで「スーツ」ではない)をひっかけて、あぐらをかいています。
(パ~、パラパラパラパ~、パララ~、パラパラパラ~♪)
わたくし、生まれも育ちも 葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します。
脳内でテーマ曲とセリフが自動再生しますね。
第49作・幻の高知編
なんでこんなところに寅さんが? と思われることでしょうが、ちゃんと理由があります。近くの看板にはこのように書かれています。
この地から始まった寅さん映画のロケ誘致運動で、平成八年に “男はつらいよ” 第49作『寅次郎花へんろ』高知ロケが決定していましたが、渥美清さんが亡くなり幻となりました。多くの人々に愛され笑いをくれた寅さんをたたえここに記念碑として平成九年八月に建立しました。
寅さんを土佐に呼ぶ会
ちなみに『寅次郎花へんろ』のマドンナは田中裕子さんでした。
寅さん最終作で用務員さんに?
なるほど、高知ロケが未完に終わったことで記念碑が作られたんですね。でもなぜ地蔵なのか。ウィキペディアには
山田洋次は、最終作で寅次郎が幼稚園の用務員になり、子供たちとかくれんぼをしている最中に息を引き取り、町の人が思い出のために地蔵を作るという構想を早くから持っていた。
と書かれています。そんな山田監督の思いもあって、寅さんをお地蔵さんにという話になったのかもしれません。
フーテンの寅さんらしくないなあ
ああでも。個人的にはこの最終話の展開はあまり好きではないなあ。寅さんはふいとどこかへ旅立ったと思えば、ふらりと帰ってきて家庭をひっかきまわしてゆく、まことに家族にとってははた迷惑な人。
そういう業を背負った人こそ「フーテン」の名にふさわしいと思うんです。フーテンの寅次郎は最期までフーテンであってほしい。どこか遠い場所で(言葉は悪いですが)のたれ死に──というのが寅さんらしい死に方じゃないかなあ。
「ハブに噛まれて死ぬ」バージョン
決して畳の上や病院で息を引き取るようなタイプじゃないし、用務員という定職につき安住の地で子供たちに見守られて──みたいな最期はちょっと合ってないような……。旅の途中、空を見上げながら「まあ、オレの最期はこんなもんだろうよ」とフッと笑うのが寅さん的ダンディズムじゃないかな。
テレビ版では「ハブ狩りで一儲けしようと奄美大島に出かけるが、そのハブに噛まれて死んでしまう」とあったのですが、そっちの方が寅さんらしいかも。みなさんどう思います?
カラフル寅さん地蔵とさくらの桜
大きな寅さん地蔵の向かって右隣には彩色されたカラフルなミニ寅さん地蔵、左には「さくらの桜」という桜の木があります。
さくら元気か! みんな達者か!! 桜が咲けばお前を思い出す。元気でな
旅先にて寅
と書かれています。これも寅さんの声で脳内再生されます。
今も旅しているような気がする
寅さんこと渥美清氏が亡くなったのは1996年。68歳だったんですね。まだまだ若いとも言えるけど、女性に恋し日本全国旅を続けるにはちょっと疲れてくる年です。
結局『寅次郎花へんろ』も最終作の映画も作られなかったのですが、それで良かったかのかもしれません。なんだか今も寅さんはずっとどこかを旅しているような気がしてくるから。芭蕉の最期の句「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」が思い出されました。(2009年05月03日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
寅さん地蔵(とらさんじぞう)
住所 :高知県安芸市伊尾木
電話 :0887-35-1011(安芸市観光協会)
時間 :見学自由
入場料:無料
駐車場:なし