即身仏は厳しい修行の末にミイラとなった仏教修行者のこと。石室に生きたまま埋められ、絶命するまで経を唱えるという想像を絶する荒行。即身仏を見に福島の貫秀寺を訪問しました。
事前連絡してから拝観すること
貫秀寺(かんしゅうじ)は福島県石川郡浅川町にあります。即身仏は薬師堂に鍵をかけて保存されているということで、事前に電話連絡をして拝観のお願いをしました。着いたのは夕暮れ時。中年の女性が約束の時間に薬師堂をあけてくださいました。
天井は美しい絵が並ぶ
薬師堂の天井には格子状の絵が並んでいます。とても見事なものですが、案内して下さった方によると本職の絵描きさんが描いたものではなく素人さんの手によるものだそうです。でもとっても上手。
2つの点で珍しい即身仏
即身仏となったのは宥貞上人(1591〜1683)というお坊さん。日本の即身仏は全国に20体ほどあるのですが、貫秀寺の即身仏は2つの点で珍しいのです。一つは薬師信仰による入定ということ、もうひとつは石棺に収められていた木棺が完全な形で残っている唯一の例であるということです。
宥貞上人の生涯
宥貞上人は諸国行脚の末、江戸深川の永代寺の住職となり、その後棚倉町の観音寺、大草の堀川観音堂、小貫村真言宗東永山観音寺を転々とし、村人のために加持祈祷を行っていました。
人々の病を治す祈りを込めて入滅
宥貞上人の晩年の1680年代当時、日本は悪性の伝染病が流行していました。上人は苦しむ人々の病を治そうと祈りを込めて薬師如来の像を作り、石鑑の中に入って入滅したのです。
15日間経を唱え続けて絶命
写真は宥貞上人が入っていた木棺を復元したものです。この小さな木棺の中で15日間、絶食の苦痛と闘いながら経を唱え続けたと言います。その壮絶な業に震えるような思いがしました。
写真撮影させていただきました
いよいよ宥貞上人と対面です。案内してくださった奥さんが「良かったら写真撮ってくださいね。最近ホームページとかで見たって人が増えてるんですよ。ぜひ宣伝してね」と言ってくださいました。お参りの後、恐縮しながらも撮影させていただきました。
少女のような可愛らしいミイラ
宥貞上人は両手を合わせて顔の横に置き、ニッコリと微笑んでいるかのように見えました。その姿はなんだか少女みたいで可愛らしいのです。ミイラなのに可愛いというのはおかしいですが、生前はきっと村人に親しまれる、温かみのあるお人柄だったのではと思いました。
300年前にしては素晴らしい状態
300年前のミイラとしては非常に状態が良いのにも驚きました。入定したのは92歳という現在でもかなりの高齢です。でも膝の関節はがっしりとしており、足の骨の大きさからみてもかなりの健脚がうかがわれます。しばしば村人を集めて説法を行っていたそうなので、きっと年をとっても精力的に働いていた人なのでしょう。
高僧の厳かさ、ミイラのおどろおどろしさというよりは、優しさにあふれた素晴らしい即身仏でした。拝観できて本当に良かった。300年後の今も人々を見守ってくれているように感じました。
残念ながら龍の壁画はもう見られない
奥さんによると、この薬師堂は2011年の震災で壁が崩れ落ちてしまったのだそうです。以前はこの即身仏の後ろの壁に立派な龍の絵が描かれていたのですが、今では真っ白の壁のまま。宥貞上人、石鑑、仏像、木棺が無事だったのはせめてもの幸いですが、壁画の損失はとても残念で悲しいです。(2013年11月26日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
貫秀寺(かんしゅうじ)
住所 :福島県石川郡浅川町小貫宿ノ内63
電話 :0247-36-1183(浅川町役場 農政商工課)※要電話予約
時間 :09:00~16:00
拝観料:大人300円
駐車場:なし