荒縄でぐるぐる巻きにされているお地蔵様。宮城県仙台市、広瀬川のほとりにある縛り地蔵尊です。仙台市では心霊スポットの一つに数えられてもいる、ちょっと怖いお地蔵様ご紹介します。
青葉城恋唄の広瀬川
さとう宗幸氏の「青葉城恋歌」で有名な広瀬川。広瀬川〜流れる岸辺〜♪ 東北大震災の後、テレビでよく流れましたね。仙台を流れる広瀬川のほとりに米ケ袋地区という地があります。この縛り地蔵(しばりじぞう)は全身を荒縄でくくられていることで知られています。でもいったいなぜそんなかわいそうな姿に?
昔、刑場だった米ケ袋地区
実はこの辺りには昔刑場があったのです。罪人の斬首が行われる度に、広瀬川は血で赤く染まったといわれます。清々しい風景が広がる現在の広瀬川からは想像もできません。
仙台の伊達騒動
伊達騒動をご存知でしょうか。江戸時代前期に仙台藩で起こったお家騒動です。放蕩が過ぎて隠居を命じられた藩主・伊達綱宗の後、2歳の亀千代(綱村)が跡目を継いだのですが、当然幼い亀千代のバックで権勢をふるう人物が出てくるわけで。叔父にあたる伊達兵部宗勝は、家老の原田甲斐宗輔とともに伊達藩を乗っ取ろうとします。
歌舞伎や浄瑠璃のお話にもなった
それを阻止しようとする伊達安芸宗重。幕府に訴えたところ、大老の酒井忠清が介入。見事伊達安芸側が勝利して、伊達兵部宗勝は土佐に流されましたとさ。めでたしめでたし──ってお話。歌舞伎や浄瑠璃などのモチーフにもなりました。
死刑になった伊東七十郎
そんな伊達騒動のさなか、仙台藩士の伊東七十郎という武士が、伊達兵部宗勝を暗殺しようと計画したのですが、失敗して捕まってしまいます。七十郎は牢屋に入れられてから33日間絶食し、ここ米ケ袋の刑場で首をはねられました。伊東家は一族郎党、切腹・流罪・追放となったといいます。七十郎、享年36歳。
言葉通り、兵部一族は滅びた
七十郎は長期間の断食にもかかわらず縄をとていた獄卒を引きずって刑場まで走っていったとか、首切り役人が首を斬り損なうと血を流しながらも「落ち着いてよく斬れ」と言ったとか、斬首の時に「3年以内に伊達兵部宗勝を亡き者にしてみせる」と言い残して仰向けに倒れた──というエピソードが残っています。
普通は首を切られたら前のめりに倒れるものですが、仰向けに倒れるとはすさまじい意志の力です。その言葉の通り兵部一族は悪行が暴かれて流刑に処せられ、一族は滅びてしまいました。
願掛けに縄で縛る
この縛り地蔵は、七十郎の魂の供養のために建てられたと伝えられています。縛り地蔵は、人間のあらゆる苦しみを取り除いてくれると言われ、願掛けに縄で縛る習わしがあるのです。
七十郎の怨霊を恐れた?
伊東七十郎は正義のために死をも恐れない、まさに烈士ともいうべき人です。どうして義臣の七十郎の化身とも言える地蔵を荒縄で縛るのでしょうか? 一説にはそのあまりに強すぎる意志の力を人々が恐れたからではと噂されています。
なにしろ首を切られても仰向けに倒れるほどです。正義のためとは言え、強力な思いが怨念や妄執に変わって、たたりをもたらすのを防ぐためなのかもしれませんね。
血塗られた刑場とは思えない広瀬川
縄は毎年1回、縁日の日に解かれます。一緒に人々の苦しみも取り去ってくれると良いですね。広瀬川のほとりではちょうど、学生さんたちが車座になってピクニックを楽しんでいました。ここが血塗られた刑場だったとは夢にも思っていないでしょう。荒縄で痛々しい姿の地蔵像とのコントラストが印象に残りました。(2014年05月04日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
縛り地蔵尊(しばりじぞうそん)
住所 :宮城県仙台市青葉区米ケ袋3-5-13
時間 :拝観自由
休業日:年中無休
拝観料:無料
駐車場:なし