昭和6年生まれの山崎三四造さん。通称・縄文さん。会社員をしていた三四造さんは、55歳になったある日突然、縄文人になってしまったのです。三重の縄文博物館で三四造さんとお会いしました。
山崎三四造さんにお話をうかがいました
三重県一志町の縄文博物館は、山崎三四造(やまざきみよぞう)さんによる私設博物館です。入り口でキョロキョロしていると、「いらっしゃい!」と声をかけてくださいました。突然訪問したにもかかわらずお話をうかがうことができましたよ。
700万円もの退職金をつぎ込んだ縄文ライフ
還暦前に退職した三四造さん。それからは髭を伸ばし、縄文式土器を焼き、竪穴式住居を建て、古代米を栽培し、遺跡の発掘作業に精を出す毎日でした。写真は縄文人時代の三四造さん。縄文ライフをエンジョイするために、なんと700万円もの退職金をつぎ込んだんですって。
「山崎さんはどうしちゃったの!?」
当然奥様は大激怒です。奥様は竪穴式住居にも、博物館にも一度も足を踏み入れたことがありません。三四造さんはこのあたり一帯の土地持ちの名家のご出身なんですよ。山崎家第21代当主。それだけに近所のみなさんは「山崎さんはどうしちゃったの!?」と驚くばかり。
縄文土器を焼くための窯やアトリエまで
しかし三四造さんはバリバリ本気です。なんちゃって縄文人コスプレイヤーではありません。縄文土器を焼くための窯(写真)やアトリエまで自力で作ってしまったというからスゴイ(縄文人がアトリエを使ったかどうかは考えないこと)。
世界各国から取材陣が殺到
それからというもの、日本のマスコミだけでなく、アメリカ、ドイツ、イギリスと海外からもたくさんの報道陣がおしかけました。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などに取材され、縄文人三四造さんは一躍有名人になりました。
2005年6月に縄文人を引退
そんな縄文人・三四造さんでしたが、大変残念なことに2005年6月に縄文人を引退してしまったのです。20年も縄文人だっただけあって、断髪式では涙してしまったのだとか。さっぱりした身なりで家に帰った時には、お孫さんに「この人だれ?」って言われてしまったそうですよ。
引退後も大忙しの毎日
縄文人引退後も、三四造さんの人柄に惹かれて訪れるのは私だけではありません。マスコミの取材はしょっちゅうで、小学校・中学校の課外授業やクラブ活動、地域のイベントにも招かれて大忙しの毎日を送っていらっしゃいます。
突然おしかけてしまってゴメンナサイ
縄文の太鼓を演奏して下さったり、展示物を一つ一つ解説して下さったりと、三四造さんにこやかで優しい方だなあと感じました。夜になるとお酒を飲みながら月見をするという場所にも案内してくださいました。風流ですなあ。このあたりも三四造さんの土地なんですって。
また縄文人復活の日まで!
あなたもかつての縄文人姿が見られなくなって、とっても残念ですよね。でもご安心を。三四造さんは「84、5歳になったらまた戻るかもしれんよ」とおっしゃってましたよ。三四造さん、その日までどうぞお元気で!(2006年11月23日訪問)【麻理】
2018年02月
山崎三四造さんがお亡くなりになったことを東海珍スポット専門家の大竹敏之さんのツイートで知りました。ご冥福をお祈りします。
縄文おじさんこと山崎三四造さんがお亡くなりになりました(都築響一さんのブログで知りご親族に確認を取りました)。見た目こそ奇人でしたが探求心と実践力、サービス精神溢れる方でした。何度も取材にご協力いただきありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします(写真は現役縄文人だった98年) pic.twitter.com/h1TxqkILcY
— 大竹敏之@最新刊『なごやじまん』発売中 (@bakaruto) 2018年2月27日
参考文献
地図&情報
山崎三四造さんの縄文博物館(やまざきみよぞうさんのじょうもんはくぶつかん)
住所 :三重県津市一志町井関356
電話 :059-293-5475(要予約)
入館料:無料
駐車場:なし
関連URL:山崎三四造 – Wikipedia