奈良県明日香村の奇石群の一つ、亀形石造物。1980年代以前の生まれの方は、学校で習ったことがないでしょうね。この亀形石造物は2000年の発掘調査で新たに発見されたからです。
大学時代の奇石巡りの苦労
亀形石造物(かめがたせきぞうぶつ)は前回のご紹介した酒船石(さかふないし・さかふねいし)のある丘の下で発掘されました。大学時代の日本一周旅行で一番力を入れたのが奈良の遺跡群めぐり。当時はこれほどネットが発達していなかったしカーナビもなかったので、場所を探すだけでも一苦労でした。

今回は昔のルートをなぞる形で再訪したのですが、一番様相が変わっていたのが酒船石のあたり。まだ亀形石造物が発見される前だったので、昔はここは竹やぶの丘しかなかったのです。

2000年の調査で発見された遺跡
亀形石造物は私も初見なのでとてもワクワクしました。2000年の調査で見つかったのは亀形石造物、小判型石造物です。これらの遺跡と酒船石を合わせて酒船石遺跡と呼んでいます。酒船石の記事に書いたように、『日本書紀』の記述との符合から、酒船石遺跡は斉明天皇(さいめいてんのう・594〜661)の時代に作られたのだろうと推測されています。
亀形石造物
長さは約2.3メートル、幅約2メートル。背中の外径1.6メートルの円形の甲羅に、水槽が彫り込まれています。深さは20センチほどです。頭の部分が取水口となっていて、甲羅にたまった水が溝のある尻尾から流れる構造。亀の手足もちゃんと彫られていますよ。
小判型石造物
頭の部分にあるのは小判型石造物。外形の長さは1.7メートル、高さは50センチ。南側から北側に向かって水が流れるようになっていて、上部にはレンガ状に加工した砂岩を積み上げた湧き水の施設が作られています。
250年間存在していた閉鎖的空間
この遺跡は斉明天皇の時代(7世紀中頃)から平安時代(10世紀初頭ごろ)まで何度か改修工事が行われていて、約250年の間、この写真のような形で存在していたと考えられています。当時は、東西に張り出した屋根に挟まれている、閉鎖的な空間だったようです。
建築の目的は分からず
ここには斉明天皇の両槻宮(ふたつきのみや)という宮殿があったという説もあり、おそらく何らかの祭祀が行われていたのだろうと推測されています。でも丘の上にある酒船石と同じく、亀形石造物も小判型石造物も何のためのものなのかははっきりと分かっていません。
「狂心の渠(たぶれごころのみぞ)」
『日本書紀』によると、斉明天皇は土木工事にとても力を入れており、運河の建築に人夫として3万人、石垣を築くのに7万人を動員したと書かれています。その熱の入れっぷりは、斉明天皇の運河を狂心の渠(たぶれごころのみぞ)と呼んだことにも表れています。まさに狂気の沙汰という大工事だったのです。
道教に傾倒していた斉明天皇
斉明天皇は道教に傾倒していました。道教は道(タオ)の修行により不老長寿を目指す神仙思想がベースとなっています。斉明天皇の両槻宮(ふたつきのみや)は天宮(あまつみや)とも呼ばれるのですが、天宮は道教で言う「仙人の宮殿」のことなんですね。それに亀も長寿の象徴として道教においては欠かせないモチーフです。
奇石群は道教の呪術的装置か?
狂心(たぶれごころ)の土木工事は、斉明天皇の不老不死への強烈な憧れの表出だったのでしょうか。酒船石をはじめ、明日香村に点在する奇石の数々も道教に関する呪術的な装置かもしれませんね。明日香村の奇石群シリーズまだまだ続きますので、ぜひみなさんもその謎に挑戦してみてくださいね。(2013年02月03日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
亀形石造物(かめがたせきぞうぶつ)・小判型石造物(こばんがたせきぞうぶつ))
住所 :奈良県高市郡明日香村岡
電話 :0744-54-5600(明日香村教育委員会文化財課)
時間 :08:30~17:00(※亀形石造物)冬季は09:00~16:00
休業日:年末年始・荒天の場合は閉館
入場料:300円(※亀形石造物)
駐車場:有料(※隣接の万葉文化館の駐車場)