ライト兄弟より16年も早く有人飛行機を設計していた日本人のことをご存じですか? 彼の名は二宮忠八。京都府八幡市の飛行神社は二宮忠八が建立した、日本唯一の航空関係の神社です。
幼い頃から発明の才能を開花
二宮忠八(にのみやちゅうはち:1866~1936)。子供の頃から物理学や化学に興味を持っていた忠八少年。ビラまき用の宣伝凧を発明して学費を稼ぐなど、幼い頃から発明の才能を開花させていました。大人になったある日、カラスを見てひらめきます。カラスの飛行法を真似れば人間も空を飛べるのでは!
ゴム動力のカラス飛行器が飛んだ日
明治24年(1891)04月29日、忠八青年のカラス飛行器が大空を飛びました。彼は鳥や魚、昆虫の形状や生態を徹底的に研究し、飛行のメカニズムに活かしました。ゴム動力でプロペラを回し、30メートルもの距離を滑空。ライト兄弟が飛行実験に成功する12年前のことでした。
軍部に却下された飛行機開発計画
その後タマムシの形状にヒントを得た玉虫型人力飛行器の研究に没頭し、明治26年(1893)には大きさ2メートルの模型が完成しました。明治27年に日清戦争が勃発。忠八は軍部の上官に動力つき飛行器の資金援助を申し出ました。しかし、なんたることか! 参謀長の長岡大佐はその案を却下してしまったのです。
世界の航空史が変わっていたかも
この長岡大佐、のちに帝国飛行協会副会長となる長岡将軍なんですが、見る目が全くなかったんですね。もしもこの時上申書が受理されていたら、世界の航空史はまったく違っていたでしょう。
ライト兄弟に先を越された!
それでもメゲずに薬品研究で資金を稼ぎ、いよいよ飛行研究にとりかかろうとしていた矢先。忠八はアメリカのライト兄弟が人類初の飛行に成功したことを知ります。ショックのあまり、彼は枠組みができあがっていた飛行器をハンマーでたたき壊してしまいました。
私財を投じて飛行神社を建立
その後失意のまま製薬会社を去り、病気に苦しんだ忠八。しかし徐々に功績が認められ、国語の教科書にも載るなど全国にその名を広めました。そして航空界の発展を祈り、空の犠牲者の魂の慰霊を行うため、私財を投じて飛行神社を建立したのです。
モダンなデザインの境内と資料館
飛行神社はメタリックな鳥居に飛行機のエンジンが置かれたモダンな神社です。拝殿の奥には忠八や航空関係の貴重な資料が展示された資料館があります。宮司さんが親切に展示品を解説してくださいましたよ。
慰霊祭にはプロの航空関係者が参加
飛行神社は飛行機マニアだけでなく航空自衛隊、国内外の航空関係者も訪れる飛行機乗りの聖地です。毎年4月29日に行われる慰霊祭には、パイロットや航空会社の役員が数百人も参加します。航空安全、旅行安全のお札やお守りもあります。旅行や出張で飛行機によく乗る方はぜひゲットしましょう。
再現された玉虫型人力飛行器で飛翔に成功
玉虫型人力飛行器は本当に空を飛ぶことができた飛行機です。1991年の忠八飛行100周年記念行事にて出島の特設滑走路で有人の飛翔に成功しました。この光景、二宮忠八さんに見せたかったなあ。
飛行神社で天才の数奇な運命に触れてみませんか?
実は当時ヨーロッパでは航空機研究が進んでいて、忠八と同時期に有人飛行機の飛行実験に成功している発明家も何人かいます。しかし全く政府の援助なしに、独自に研究開発を続けた忠八は、やはり天才と呼ぶにふさわしい人物です。幻の発明王・二宮忠八はもっと世間に知られてほしい偉人です。(2006年05月14日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
飛行神社(ひこうじんじゃ)
住所 :京都府八幡市八幡土井44
電話 :075-982-2329
時間 :09:00~17:00(資料館は16:00まで)
休業日:年中無休
入場料:300円(資料館)
駐車場:無料(1台)
関連URL:二宮忠八翁創建 飛行神社