弘法寺は千葉県市川市の真間山という丘にある古刹。しかしその石段に一風変わった言い伝えがあることを知る人はあまりいません。どんな晴天の日でも常に湿っている涙石のお話です。
行基、弘法大師ゆかりの古刹
真間山弘法寺(ままさんぐほうじ)は天平9年(737)に行基がこの地に立ち寄った際に建立したお寺です。当時は求法寺(ぐほうじ)と書きました。そして弘仁13年(822)に弘法大師が訪れて弘法寺に改めたという由緒正しい寺院。広々とした大きなお寺です。
山門に向かう石段の真ん中あたりに注目
その弘法寺の山門に向かう石段。60段ほどあるでしょうか。私が訪れた時にも参拝者は結構いましたが、その石段の真ん中に奇妙な石があることに気づく人はあまりいないようです。
どんなに晴天の日が続いてもこの石だけがいつも濡れている
それがこれ、涙石(なみだいし)です。周りの石と違って一つだけ黒ずんだようになっています。実はこの石だけが濡れているのです。この日は曇り空ながら雨は一滴も降っていませんでした。涙石はどんなに晴天の日が続いても、不思議なことにいつも湿っているのです。
手を触れてみるとしっとりとしている
実際に手を触れてみると、涙石だけがしっとりとしています。他の石は乾燥しているのにいったいどうして? 常に湿っているためかここだけが表面にコケが生えています。なんとなくこの石だけボコボコしたいびつな形のような気も……。
涙石にまつわる言い伝えとは?
涙石にはこんなお話があります。日光東照宮の建設がはじまった頃のこと。東照宮の創建は元和3年(1617)なので江戸時代のはじめですね。弘法寺の檀家に鈴木長頼というお侍さんがいました。彼は東照宮の石材を伊豆から船で運ぶ作事奉行のお役目を任されていました。
動かなくなった船から石を弘法寺に運んでしまった
しかし市川のあたりに着いた時、どういうわけか船が急に動かなくなってしまいました。そこで責任者の鈴木長頼は東照宮のために使用するはずだった石材を、弘法寺に運んで石段に使ってしまったのです。信仰心が厚いことは良いのだけど、これって完全に横領ですよね。
長頼の無念の血と涙を吸った石はずっと濡れたままに
もちろんそんな横領を仏様も幕府も見逃すはずはなく、責任を問われて長頼は弘法寺の石段で切腹しました。長頼の無念の血と涙を吸った石は以来、ずっと濡れたままになっているのです……。
実際の史実とはどうやら違うようだけど……
ただしこのお話は史実通りではないともいわれています。東照宮造営の当時に鈴木家の当主であったのは長頼の祖父にあたる長次で、石段を弘法寺に寄進したのも長次なのです。それに東照宮の造営に関わるような立派な武士が、正しい切腹の儀式を行わずに弘法寺の石段の真ん中で腹を切るなんてちょっと考えられません。
地下水が染み出しているのだろうか?
でも石段が常に濡れたままというのは不思議な現象ですね。市川市には水脈が多く湧き水も豊富ですから、この石だけが多孔質で地下水が染み出しているのかもしれません。ぜひあなたも実物の石を触ってみてくださいね。(2016年10月08日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
弘法寺(ぐほうじ)・涙石
住所 :千葉県市川市真間4-9-1
電話 : 047-371-2242
拝観料:無料
駐車場:なし