鳴門市にはかつて第一次世界大戦におけるドイツ兵俘虜の収容施設がありました。当時捕らえられたドイツ兵5000名弱のうち約1000名が、この板東俘虜収容所に収容されていました。
年末恒例、ベートーベンの第九
年末になると決まってベートーベンの『交響曲第9番 ニ短調 作品125』、通称「第九」が流れますね。実は第九が日本で初めて演奏されたのは徳島県鳴門市なんですよ。ドイツ館はドイツ兵と地元の人々の友好を後世に伝えるために建てられた記念館です。
恐ろしいイメージのある収容所だが……
収容所というと思い浮かぶのはアウシュビッツ収容所ではないでしょうか。アウシュビッツのイメージからドイツ兵はさぞひどい境遇で虐げられていたのでは……と思われがち。ところが彼らは質素ではあるものの人道的な扱いを受け、快適な生活を送っていました。
地元鳴門市では温かい交流があった
地元の人々はドイツ兵俘虜を「ドイツさん」と呼び、スポーツや芸術、農作業など様々な分野で温かい交流がありました。楽器を手作りして結成されたオーケストラの演奏会は鳴門市で大評判。その演奏会で奏でられたのが、日本で最初の第九のコンサートだったんですね。
当時の収容所の様子をジオラマ・資料で展示
収容所生活を再現したジオラマ、ムービー、新聞や手紙、書籍、写真などの資料でその交流の様子を学ぶことができます。特に動くロボットのオーケストラ・第九の演奏シアターが素晴らしいんです。
残念、撮影禁止!
うん、そうなんだ。あなたも想像ついたと思うけど(全く内部の写真がないから)撮影禁止だったんです。写真をお見せすることができずに非常に残念ですが、IKEKITA MinoruさんがYouTubeに動画をアップされていたのでありがたく引用させていただきます。
日本人とドイツ人の友好関係
私は徳島県に収容所があったこと、そして虐待されていたのではなくドイツ兵たちが地元の方と和やかな雰囲気で生活していたことにに驚きました。収容所ですから窮屈なこともあったでしょうが(女性がまったくいないとかね)、たとえ敵国であろうと人間同士仲良くやっていた徳島人の素晴らしさに胸が温まる思いでした。
現在も第九の演奏会が催されている
交響曲第9番の第4楽章で歌われるシラーの詩には「優しい翼が留まるところ、全ての人間は兄弟となる」とありますね。板東俘虜収容所で演奏されるにふさわしい交響曲です。
鳴門市では第九が初演された大正7年6月1日にちなんで、6月の第1日曜日を「第九の日」として演奏会を行なっているそうです。(NPO法人 鳴門「第九」を歌う会 ホームページ)
兵舎として使われていた建物
ドイツ館のすぐ近くには道の駅 第九の里があります。この建物は板東俘虜収容所の兵舎で、最近まで牛小屋として使われていた建物。2004年に登録有形文化財に指定されたため、ドイツ館のある場所に移築されて物産館に生まれ変わりました。ぜひこの道の駅も見てみてくださいね。(2009年05月06日訪問)【麻理】
追記:2016年12月10日
大正蒸滊奇巧(@taijyoukou)様より情報をいただきました。大阪市大正区にドイツ兵俘虜の石碑があるそうです。わざわざお写真まで撮影してくださいました! 地元の方ならではの貴重な情報をありがとうございました!
@IgarashiMari こんにちは。うちの裏の公園が同じく、第一次世界大戦の元ドイツ兵俘虜の収容所で、色々記録が事細かく残ってます。自由に収容所の出入りが出来て、当時の村の人との交流もあったみたいです。第九を伝えたと言われているドイツ兵の名前も残ってますよ。
— 大正蒸滊奇巧 (@taijyoukou) 2016年12月10日
@IgarashiMari 石碑と言っても古めかしいものじゃないですよ。「大阪市 大正区 ドイツ兵俘虜」で調べてみて下さい。
私が読んだ資料は区の図書館の片隅にあったミニコミ誌ですが、タイトル忘れてしまいました。— 大正蒸滊奇巧 (@taijyoukou) 2016年12月10日
@IgarashiMari 公園行ってきました。石碑じゃなくてこんな感じです。ピンボケですみません。m(__)m pic.twitter.com/jJj5ujksw7
— 大正蒸滊奇巧 (@taijyoukou) 2016年12月10日
参考文献
地図&情報
ドイツ館(どいつかん)
住所 :徳島県鳴門市大麻町桧字東山田55-2
電話 :088-689-0099
時間 :09:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日:第4月曜日(祝日の場合はその翌日)年末
入館料:大人400円
駐車場:無料
関連URL:鳴門市ドイツ館|徳島県鳴門市『第九が日本で初めて演奏された地』