新潟県佐渡ヶ島。我々珍スポット業界の人間にとっては奇祭の宝庫、歴史的には流刑の島、そして黄金の島──とキャラてんこ盛りの観光スポットです。フェリー内の写真とともに佐渡ヶ島の歴史について語ります。
フェリーターミナルで佐渡おけさを満喫
カラッと晴れたGWの新潟市。ここは新潟フェリーターミナルです。イベントで佐渡おけさのショーが開催されていました。ハァー佐渡へ、佐渡へと草木もなびく〜♪ 哀切あふれる美しい民謡ですね。いわゆる民謡の「おけさ」は各地にあるのですが、やはりおけさと言えば越後が本場ですね。
絶海の孤島・佐渡ヶ島
佐渡おけさの歌詞には「来いと言うたとて行かりょか佐渡へ 佐渡は四十九里波の上」とあります。実際のところ佐渡ヶ島と本州は最短34kmしか離れていません。四十九里は能登半島の小木から佐渡の小木までの距離と言われています。佐渡は昔から「絶海の孤島」と呼ばれている流人の島でした。佐渡おけさの哀愁はそんな歴史もあってのことなんですね。
722年から罪人が流されていた流刑の島
佐渡の流刑人の第一号は万葉歌人である穂積朝臣老(ほづみのあそみのおゆ)です。722年(養老6)に佐渡ヶ島に流されました。豪雪地帯として知られる新潟ですから冬の日本海の島での生活は壮絶なものだったでしょうね。
流罪となったらサバイバル生活
離島に住めるなんてバカンスみたいでいーなー!と、現代に住む我々はつい羨ましく思ってしまうかもしれませんが、実は流罪は死刑に次ぐ重罪です。自分だけでなく妻子と一緒に島へ連行され、その後の人生は自分で食料を探すサバイバル生活をせねばなりません。言うまでもなくAmazonもUberEatsもなしです。
教養人が多かったので独自の文化が開花
穂積朝臣老を始め、罪人は政治犯や思想犯が多かったため教養人が多かったんですね。そのため佐渡ヶ島は都の上級国民罪人が持ち込んだ文化により、佐渡独自の高尚な芸能文化が生まれました。例えば室町時代に政治犯として流罪になった世阿弥の影響で、農民が畑仕事で能の謡曲を口ずさむほど能文化が発達したんです。
400年前からは黄金の島に
離島と言えども佐渡ヶ島は日本海で最も大きな島で、その面積は東京23区とほぼ同じです。人口は5万2000人ほど(2020年5月1日現在)。400年前に金山が開かれてからはゴールドラッシュに湧く、黄金の島ともなりました。
金山での生活はまさに地獄
ただし佐渡の金の採掘はまさに地獄とも言える過酷な作業でした。全国から金に惹かれて集まってきた人間たちは、ろくな食事も与えられずに奴隷のように働かされたという事実もあります。「二度と来まいぞ金山地獄 来れば帰るあてもない」と当時の人夫が歌った歌も残されています。
珍スポット的には奇祭の宝庫
また珍スポット的には、男根に似せた棒を持って踊る「つぶろさし」という奇祭、重さ100kgの地蔵を担いで踊る「豊田音頭」、ふんどし姿の男達が厄男をかつぐ「ドウ押し」など変わったお祭りの宝庫なんですよ。今回はスケジュール的に奇祭は見られなかったのですが、ぜひとも一度は見てみたい珍まつりばかりです。
キャラ盛りすぎ!な佐渡ヶ島
流刑の島、民謡・能楽など文化島、黄金の島、奇祭の島──と昨今のラノベなら「キャラ盛りすぎ」と編集からダメ出しされるぐらい特徴ありすぎの島ですよね。今回島へ渡るのに使ったフェリー・おけさ丸もGWだったこともあって乗客がたくさんいました。観光地としても人気なんですね。
今回まわった珍スポットは4ケ所
今回の佐渡ヶ島探訪では4ケ所ほど回ったのですが、もうそれだけでお腹いっぱいと言えるほど濃い体験をすることができました。でも佐渡ヶ島の魅力の半分も味わうことはできなかったと思います。また再び訪れたい島です。
今週からの佐渡ヶ島特集をお楽しみに!
このフェリー自体の船旅も美しい海が堪能できて楽しかったです。ということで今週からしばらく新潟県・佐渡ヶ島の特集が始まります。それぞれの珍スポットは新潟でもトップクラスの珍度ですよ。どうぞお楽しみに!(2019年05月05日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
佐渡ヶ島・佐渡汽船・両津港ターミナル
住所 :新潟県佐渡市両津湊353
電話 :0259-27-5614
関連URL:佐渡汽船公式サイト | 佐渡汽船の公式情報を提供しています。