人魚の肉を食べて不老不死を得た八百比丘尼は全国を行脚したと言われるため、各地にゆかりのスポットが存在します。香川県にも八百比丘尼の塔・勝造寺層塔があるんですよ。


田んぼの真ん中の不思議な塔
香川県三豊市。辺り一面田んぼの風景にぽつんと不思議な塔が立っています。これが威徳院勝造寺層塔(いとくいんしょうぞうじそうとう)です。この塔を知ったのは学研の『ムー』という雑誌なんですが、なにぶん昔に発行されたものですし、詳しい住所が分からず迷ってしまいました。
お出かけになる方は11号線の高瀬町六ツ松信号から少し北にあるネッツトヨタ香川を目印にしてください。ネッツトヨタ前の道路を横断した田畑の中にあります。
民家の細い道を通って近づく
しかし見つけても田んぼの真ん真ん中にあるので、どうやって近づいたら良いのか分かりません。うろうろしているとご近所の中年女性の方が「塔見に来たんですか-? こっちの細い道から回り込めますよ-」と親切に教えてくださいました。ありがたい!
別名「異形十三塔」
高さは約7メートル。塔身は13層(基底部を合わせて16層)の石が重なってできています。底の部分は1辺が3メートルの正方形で、徐々に石の層は小さくなっています。最上部に傘のような形状の石、その上に丸みのある石が乗っています。石は真っ直ぐに切り出されているので、ちょっとぐらいの地震にはびくともしなさそう。このような形の塔は全国でも珍しく異形十三塔とも呼ばれています。
どうしてわざわざ見に来たの?
先ほどの女性に「この塔、どんな歴史があるのかご存じですか?」と聞いてみたところ、「さあねえ、子供の頃から住んでるから全然気にしてなかったし……。これ見に来たの? どうして? 学生さんか何か?」と逆に尋ねられてしまいました。まあ、地元の方にとっては見慣れた風景だから、どうしてわざわざ?と思われるのかも。
誰が、何のために?
石塔近くにある説明書きにはこうあります。建立は永和4年(1378)3月6日。延宝6年(1678)に丸亀藩主・京極高豊(きょうごくたかとよ)が散逸していた石を集めて修復した、と。でも肝心な「誰が、何のために立てたか」ということが一切書かれていません。
石の表面には梵字が刻まれていますが風化が激しく判読は難しそうです。その上この梵字は後世に刻まれたと言われていて、建立の来歴は分かっていないのです。
弘法大師が立てた? 死者を祀った塔?
全国的に例を見ない不思議な形状の塔であること、建立の歴史が不明であることなどから様々な説が言い伝えられています。一つは弘法大師が一晩で作り上げたという説。これは四国という土地柄だからでしょうね。また永和4年は南北朝時代ですから、戦乱の死者を祀ったものとも言われています。
一般には八百比丘尼の塔とも
興味深いのは八百比丘尼が建立したという説。そのためこの塔は一般には八百比丘尼の塔とお呼ばれています。八百比丘尼は人魚の肉を食べた後全国歩いて仏の道を説いてまわりました。その際に立てた塔だという伝説なんですね。基底部は私が手を広げたぐらいの大きさがあります。女性一人で石を積むのは無理なので、村人と一緒に協力して立てたのかな。
不老不死の御利益あるかしら
諸説あるものの、私としてはやっぱり800年も生きたという八百比丘尼説を推したいところ。不老不死だった八百比丘尼の御利益があるかもしれませんものね。田んぼの真ん中に素っ気なく立っている勝造寺層塔ですが、香川県の指定有形文化財となっている貴重な歴史遺物です。ぜひあなたも神秘的な雰囲気を味わってみてくださいね。(2009年05月05日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
八百比丘尼塔(やおびくにとう)威徳院勝造寺層塔(いとくいんしょうぞうじそうとう)
住所 :香川県三豊市高瀬町下勝間1534 六松信号のあたり
電話 :0875-73-3135(香川県三豊市教育委員会 生涯学習課)