女性諸君、永遠に若く美しくありたいか! ならば福島県喜多方市の金川寺にGO! 金川寺は元祖・美魔女の八百比丘尼(やおびくに)が作ったお寺。美しくなれるご利益があります。
全国に伝わる八百比丘尼の物語
人魚の肉を食べて八百歳生きたという八百比丘尼。諸国を行脚して仏の道を説いたという伝説が日本各地に残っています。その数120以上。八百比丘尼伝説の残る地は熊本が最南端、福島県が最北端です。八百比丘尼の最終地点は入定地である福井県の空印寺と言われています。
内陸部では珍しい八百比丘尼伝説
私は人魚伝説の地をあちこち訪ねています。ここ金川寺は八百比丘尼伝説最北の地。普通は海沿いの地域での伝承が多いのですが、喜多方のように内陸に八百比丘尼伝説が残るのは大変珍しいですね。八百比丘尼自身がお寺の開祖となっていることも興味深いです。
美と長寿が叶う呪文の御歌
この地で住職として村人に仏教の教えを説いた八百比丘尼。
八百歳の 誠のこころに 残し置く 誓いを結べ 後の世の人
という御歌を唱えて拝めば、美と長寿が約束されると言ったそうです(そこのあなた、今心の中でこの御歌を唱えましたね!)。
金川寺の八百比丘尼伝説
金川寺の八百比丘尼は他の地の伝説と少し違っています。
文武天皇(7世紀末)の時代、秦勝道(はたのかつどう)という老臣が陰謀により磐梯山麓の地に流されました。勝道は妻をめとり、千代姫という女の子を718年の元旦に授かりました。
水底に案内する不思議な老人
村人は庚申神(こうしんこう)を信仰しており勝道も加わっていました。あるとき白髪の老人が新しく仲間に入り、村人や勝道を家に招きました。一行が老人について駒形山の権現堂渕にまで来ると「私の家はこの水底にありますから、わらじからこの皮靴に履き替えてください」と言いました。
金色の肴「九穴の貝」
彼らが水の中を歩いて行くと、金銀で飾ったこの世のものとも思えない美しい御殿・龍宮城まで案内されました。珍味や美酒で歓待される村人たち。老人は「これは龍宮城でも珍しい『九穴(くけつ)の貝』です」と金色の肴を差し出しました。村人たちは喜んで食べましたが、勝道は食べずに懐に入れました。
緑色の服の官人
老人は「私は高齢なので再びみなさんと会うことはないでしょう」と別れを告げ、一行を緑色の服を着た官人(役人)に見送らせました。駒形山の岩下につくと官人の姿は消えていなくなっていました。
伝説の類似点と相違点
ここからは他の地の伝説と同じ。父の土産ものである肴をこっそり食べた娘は、その後年を取ることもなく若く美しいまま数百年を生き、全国遍歴の旅に出る──というもの。
福島の八百比丘尼が他の伝説と違っているのは、自ら金川寺を建立して阿弥陀如来像、聖徳太子像、自分の姿を仏像として作らせたという部分です。
妙に細かいディテール
個人的に妙に心に引っかかるのは、他の地の言い伝えと比べて駒形山の権現堂渕、水の中に行ける皮靴、金色の九穴の貝、緑色の服の官人とディテールがやたら細かいことです。民話や伝説には意外に真実が含まれていることが多いのですが、この詳細部分が本当の事だとしたら、いったいこれらは何なんでしょう?
学研『ムー』的には「宇宙人によるアブダクションの一例」とか言って欲しいけどね。それと細かいことですが、同じ肴を食べた村人について一切言及がないのはなんででしょうね……。
年に2回公開される八百比丘尼像
毎年春の八十八夜と旧8月1日の年2回に大祭が行われ、ご本尊の八百比丘尼像が公開されます。これはご住職に見せていただいた八百比丘尼像の写真。この像を拝んで先ほどの御歌を唱えれば福寿長久(ふくじゅちょうきゅう)にして、諸願成就(しょがんじょうじゅ)しないものはないんだそうですよ、美魔女志願のみなさん。
女性はぜひ一度お参りを
ご住職に熱心にお話を伺っていたからか、帰りがけに人魚伝説の伝承地一覧の表まで頂いてしまいました。日本全国の人魚伝説を残らずまわりたくなりました。どうぞご利益がありますようにと、普段神社仏閣巡りの2割り増しで熱心に拝んできました。(2013年11月27日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
金川寺(きんせんじ)
住所 :福島県喜多方市塩川町金橋字金川2090
電話 :0241-27-2193