生れてすみません……な気分になる「太宰治記念館・斜陽館・太宰ミュージアム」【青森】

太宰治記念館・斜陽館
『人間失格』や『走れメロス』などで知られる太宰治。死後60年以上経っても熱狂的なファンの多い作家です。青森県五所川原市の太宰治記念館・斜陽館を訪ねました。その豪華っぷりに唖然!

太宰治の代表作『斜陽』に由来

太宰治記念館・斜陽館
太宰治記念館の別名・斜陽館は、博物館の前身である旅館の名前に由来します。もちろんこれは彼の代表作である『斜陽』から名付けられています。『斜陽』はある没落貴族の一家の悲しみと希望を描いた作品ですが、このタイトルを館に名付けるセンスはなかなかのものと感じました。

680坪の超豪邸! 地元の名士である父

太宰治記念館・斜陽館
斜陽館は太宰治(本名:津島修治)の生家である建物を利用しています。これがもうびっくりするほど豪邸。約680坪もあります。それもそのはず彼の父・津島源右衛門は青森県でも有数の大地主。県会議員と多額納税による貴族院議員を務めた人物です。津島家は「金木の殿様」と呼ばれていました。つまり太宰治の家は超大金持ちなのです。

斜陽館スタッフによる詳しい解説ツアー

太宰治記念館・斜陽館
そんな大豪邸ですから見学するだけで30分もかかります。太宰治が愛用したマントや生原稿、手紙など600点以上の収蔵品があります。でも斜陽館スタッフが丁寧に太宰治の面白エピソードを交えて解説してくださるので楽しく見学することができますよ。

何不自由なく育ったお坊ちゃま・太宰治

太宰治記念館・斜陽館
太宰治の作品を読むと彼が非常にコンプレックスが強い人物であることがわかりますが、斜陽館を訪れると「なるほどさもありなん」と思わずにはいられません。地元の名士を父に持ち、この大豪邸で何不自由なく育ってきたお坊ちゃま・太宰治。

作家として思い悩んだろうなと想像

太宰治記念館・斜陽館
当時の作家は生活苦の中、命を削って書くことが美徳というか「ハングリー精神が尊い」みたいな価値観がありましたから、こんなに恵まれていていいのだろうか──と思い悩んだこともあったろうと想像できます。脳天気に富を享受するには太宰治は頭が良すぎたのでしょう。

金貸し業を行っていた部屋

太宰治記念館・斜陽館
さらに彼の実家が金貸し業で財を成したということも大きいでしょう。これは地元の人々にお金を貸していた窓口と金庫。お金を借りる人たちは正面玄関を入ることは許されず、この暗い部屋で手続きをしました。借金のために土地を差し押さえられた人も多かったようです。

京都の仏壇店に作らせた超豪華な仏壇

太宰治記念館・斜陽館
この豪華な金の仏壇をご覧ください。まばゆいばかりのゴールド! 京都の仏壇店で特別に作らせたものです。ああ、でもこれも貧しい青森の農民から搾取したお金で支払ったのでしょうか……。これじゃあ太宰治の性格がゆがむのも無理からぬことです。

館の移り変わりを太宰ならどう考えたろうか?

太宰治記念館・斜陽館
この大邸宅は1948年にに角田唯五郎氏が住宅として買い取り、その2年後に旅館・斜陽館を開業。1996年まで46年間旅館として太宰ファンに親しまれてきました。そして1996に旧金木町が買い取り、1998に太宰治記念館・斜陽館として開館しました。太宰治が玉川上水で入水自殺したのは1948年ですが、もし生きていたら彼はこの移り変わりをどう考えたでしょうか。

ものすごくダウナー系な太宰治ねぶた

太宰治記念館・斜陽館
とまあ、ここは極めて真面目な施設なのですが、ただひとつ珍な点があるとすればこの太宰治ねぶたです。

ラッセラー! ラッセラー! という賑やかな掛け声と踊り、きらびやかなねぶたで知られるねぶた祭りですが、これじゃあ盛り下がること必須。「生れて、すみません」なダウナー系な気分になってしまうのでは……。(2006年06月03日訪問)【麻理】

「生れて、すみません」とは『二十世紀旗手』という短編の冒頭に書かれた太宰の有名な言葉──であるが、実は別の詩人・寺内寿太郎の作品の「生れてすみません」を太宰治が剽窃したもので、彼はその件について非難もされている。でも実に太宰らしいエピソードでもある。うまれては「生まれて」と書くが、寺内寿太郎の一行詩には「生れてすみません」とあるのでそのまま記事タイトルに使用した。

参考文献

地図&情報

太宰治記念館・斜陽館(だざいおさむきねんかん・しゃようかん)

住所 :青森県五所川原市金木町朝日山412-1
電話 :0173-53-2020
休業日:12月29日
時間 :08:30~18:00(05月〜10月) 09:00~17:00(11月〜04月)
入場料:大人600円
駐車場:無料(50台)

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