ストーンサークルといえばストーンヘンジが有名ですが、輪のように丸く並べられた巨石群、環状列石は日本各地にあります。岡山県の楯築遺跡は丘の上に石が同心円上に配置されています。
ごく一部のマニアのための記事
当ブログでは珍スポットからはややはずれるものの、「古代ロマンシリーズ」として数々の不思議な遺跡を訪ねてレポートしています。ごく一部のマニアの方を除いてほとんど読者さんの反応のないシリーズですが、かまわずガンガンご紹介。
同心円上に並べられた巨石
住宅街の真ん真ん中に突然現れる王墓の丘史跡公園。坂を登っていくと頂上部に現れる巨石群。思わず息をのみます。高さは1.5メートル~3.5メートル、幅は30センチ~60センチほどの石が同心円上に配置されています。
弥生時代後期の日本最大の墳丘墓
楯築遺跡は弥生時代後期の巨大な墓の一部。しかも当時に作られた墳丘墓としては日本最大のものなんですよ! 中心から北東方向と南西方向に突出部がある特徴的な形(キャンディのような形)は後の前方後円墳の元になっていると言われています。
副葬品もざっくざく!
発掘調査により中央部の縦穴からは極めて珍しい木槨木棺墓(もっかくもくかんぼ:木で作られた外箱の中に木棺を置く墓)が出土しており、性別不明の熟年の歯に加え、ひすいの勾玉、鉄剣、朱(水銀朱)などどっさり副葬品が出てきているんです。
特に朱は30キログラムという異常な多さ。日本でとれない朱がこれほどあるとすると、当然大陸との結びつきも考えられるってわけ。
亀石は古代吉備王国の夢を見るか
列石の中央には亀石と言われる石が御神体として奉られていたとされ、表面には曲線が渦巻いたような文様(帯状曲線入組文様)が刻まれています。何らかの儀式を行っていたのでしょうか? ひょっとすると古代吉備王国の謎が隠されているのかも!(亀石は楯築神社の御神体となっている)
巨石は何のため? 誰が眠ってるの?
巨石は吉備津彦伝説では、鬼である温羅(うら・おんら)と戦ったときに、矢を跳ね返すために作った石の楯(たて)と言われています。でもそれは伝説で、この地方に有力な政治勢力があったのは間違いありません。吉備地方には100メートル以上の巨大古墳が18基もあります。いったい何のためにストーンサークルがあるのか、そして葬られていた人は誰?
ロマン溢れる謎の遺跡
当時海岸線がこの近くまであったことや、亀石をはじめ石の表面を加工した跡が見られることから、楯築遺跡は何らかの儀式的または呪術的な空間ではないかと言われています。また葬られていた人物は古代吉備王国の支配者の1人だと考えられます。想像を働かせる余地がある、ロマンいっぱいの遺跡ですね。
古代吉備王国って何だよー!
学校の日本史では九州と大和が日本のはじまり──と習いました。でも岡山の地に、当時高度な文明を誇る吉備王国が存在していたという説を主張する人も多いのですよ。歴史は勝利した者が作ると言われますよね。大和政権が統一するまでにも各地にたくさんの王国があったはず。遺跡はかつて存在していた文化を雄弁に語ってくれるのです。
なんでこんな貴重な古墳をぶっつぶすの!?
このように楯築遺跡は超A級の遺跡にもかかわらず、団地造成でかなりの部分がぶっつぶされて、今は南西部がまるまる給水塔になっています。地域の人の生活の大切さも分かります。でも給水塔は絶対ここに作らねばならなかったのでしょうか……。(2008年05月04日訪問)【麻理】
岡山・吉備津彦関連の地レポート







追記:2008年09月25日
この地域に住んでいる方からお叱りをうけました。この記事は決して住人の方を侮辱する意味で書いたのではなく、宅地造成計画を立てる際に、行政はもう少し慎重になってほしいという思いで書きました。何が何でも、給水塔を古墳の上に建てる必要があったのでしょうか? 「文化財を大切にしましょう」という説明書きが皮肉に感じました。
古墳という日本の財産を守るために、別の地域を用意するなど何らかのやり方があったと思うのです。一度失ったものは二度と取り戻せません。古墳に限らず、今後自然環境、歴史的建造物などを破壊する前にぜひ討議を重ねて頂きたいと思っています。
参考文献
地図&情報
楯築遺跡(たてつきいせき)・王墓の丘史跡公園
住所 :岡山県倉敷市矢部
電話 :086-426-3851(倉敷市文化財保護課)
時間 :見学自由
休業日:年中無休
入場料:無料
駐車場:無料