岡山市の亀石神社。亀石というと奈良県明日香村の奇石・亀石を連想しますが、こちらは亀石(かめいわ)。 神武天皇が神武東征の時に乗った亀が化石化したものと言い伝えられています。

旧暦6月には亀石祭りを開催
この神社の御神体は亀の形をした岩。旧暦の6月15日の夜には、五穀豊穣を祈る亀石祭りが開かれ、ちょうちんで飾り付けられたシャギリ舟が湾に浮かびます。亀石は直径2メートルほど。この岩は潮が満ちてくると水に浸ってしまいます。
海に面した変わった神社
この神社が変わっているのは、海に面しているところです。広島の厳島神社みたいですね。御神体である亀石は昼間でも半分海水に浸っているような状態で、なるほど亀が首をもたげて水面に浮かんでいるようにも見えます。
神武天皇を案内した亀が岩に
この亀は神武天皇(カムヤマトイワレビコ)が神武東征の時に、大亀に乗った釣り人・字豆毘古(ウズヒコ)が現れ、水先案内をつとめた大亀が化石になったものと伝えられています。ひょっとすると字豆毘古が乗っていたのは世界最大のウミガメ・オサガメだったのかな。なんてね。
神武東征は単なる伝説か?
神武天皇は吉備国で8年(日本書紀では3年)も過ごしています。これは当時の日本人の寿命を考えてもかなり長い滞在です。神武東征は神話であり、東征を行ったかどうか、また神武天皇自体の実在自体も不確かと言われています。しかしこの亀岩をはじめ岡山に点在する遺跡を見てもなんらかの勢力がこの地に存在したことは明らかです。
桃太郎伝説、吉備津彦伝説との類似
岡山の『桃太郎』のお話は神武東征のストーリーと構造が似ています。また桃太郎の元となった吉備津彦伝説(吉備地方の温羅を退治する話)にも容易に結びつきます。古代、この地に何らかの戦いがあったのは間違いありません。桃太郎伝説、吉備津彦伝説、神武東征伝説をつなぐものはいったいなんでしょうか。
歴史マニアは乞うご期待
なぜ神武天皇はこの吉備の地を征服しようとしたのか、何が狙いだったのか。そして吉備津彦伝説で討伐された温羅とは何者だったのか。このあたりのことは一連のレポートを通して少しずつ書いていきたいと思います。歴史マニアの胸躍らせる、古代史レポートに乞うご期待☆(2008年05月03日訪問)【麻理】
追記:2012/06/25
Youtubeにkintoto484様が亀石神社の 亀石まつりの様子を動画でアップされていました。夜空と提灯の明かりが幻想的ですね。
岡山・吉備津彦関連の地レポート





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参考文献
地図&情報
亀石神社(かめいわじんじゃ)
住所 :岡山県岡山市水門町
駐車場:なし