関帝廟は『三国志』でおなじみの関羽が神格化され祀られている宗教施設です。神奈川県横浜市の中華街にある関帝廟は豪華絢爛! 3度の消失にもかかわらず1990年に美しく蘇りました。
横浜中華街に来たらぜひ関帝廟へ
関帝廟(かんていびょう)の廟とは仏壇や墳墓、神殿などをさす宗教的な施設のこと。原色の色使いや派手な装飾が詫び寂びを良しとする日本人の目にはユニークに感じます。これまでも中国様式の施設をいろいろご紹介しましたね。横浜中華街に来たらぜひ関帝廟に立ち寄ってみましょう。
義侠心あふれるヒーロー・関羽
関羽は1800年以上も昔の人物でありながら、義侠心にあふれた英雄として現在もファンの多い実在の武将です。「普通の人間なのに神様みたいに祀られるの?」とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、日本でも弘法大師や徳川家康など優れた功績があり人々から尊敬される人物が、神仏として信仰の対象になることはありますよね。
受付も赤を基調色にした極彩色
関羽は後の世の人々から関帝(関聖帝君・関帝聖君)として崇められる存在になりました。横浜中華街のど真ん中にあることもあって、関帝廟にはたくさんの地元の方、観光客が訪れていました。受付の社務所(というのかな?)もご覧の通りの極彩色です。
中国北京の工房で作られた屋根瓦と龍神
関帝廟は神奈川の他、北海道、和歌山、京都、兵庫、大阪、長崎、沖縄と各地の中華街に存在します。神戸市と横浜の関帝廟は観光ガイドブックによく登場するのでご存知かもしれませんね。中国・北京の工房で焼かれた瓦は実にカラフル。屋根の上の龍神はガラス細工なんですって。
関羽の活躍の場面を彫刻した石柱
見事な石柱は関羽の活躍の場面をイメージして彫刻されています。馬に乗った兵士が躍動的に描かれていますね。本殿の回廊にあるこれらの柱は台湾から運ばれたものです。柱の一本一本までもが芸術品。
関帝廟の参拝方法
参拝の方法です。受付で線香と金紙という黄色い紙を購入し、5本の線香に火をつけて順番に香炉に1本ずつ供えます。本殿でひざまずいて合掌し、住所、氏名、生年月日を告げて、祀られている関帝、地母娘々、観音菩薩、福徳正神に順に願い事をします。金紙は供物棚にお供えして、参拝後に金紙専用の香炉で燃やします。
住所氏名生年月日──と自分が何者であるかはっきり自己紹介するのが興味深いです。さらに詳しいやり方は関帝廟の説明書きにありますし、スタッフの方も丁寧に教えてくださるのでご安心を。
戦争、震災、火災によって消失した関帝廟
壁に関帝廟の由来と参拝方法が書かれていました。
初代関帝廟は横浜在住の華僑の心のよりどころとして、1873年(明治6年)先僑の発願に依り、建立されたものです。それが1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊し、再建された第二代も1945年(昭和20年)に戦災で、又第三代は、1986年(昭和61年)に、不審火で共に消失されました。現関帝廟は第四代で1990年(平成2年)8月14日に落慶したものです。
こんなに消失、再建を繰り返していたとは知りませんでした。
第四代関帝廟からは観光地としての顔も
第三代までの関帝廟は中華街の通りの奥にあり、参拝者はほとんど華僑のみでした。しかし第四代になって通りに面した場所に建て替えられて、地元の華僑だけでなく観光客が気軽に参拝できるようになりました。昔は中華街の守護神として存在していましたが、今は中華街に人を招く観光地としての顔を持つようになったんですね。
中国・日本の人々の支えによって再建
関帝廟は日本人が中国の文化を知るきっかけにもなりますし、横浜中華街が観光地として発展するための推進力にもなっています。第四代の建築には2000人以上の人々から6億円もの寄付が集まったといいます。政治的な問題はさておき、中国と日本のより良い関係のためにもたくさんの方に訪れてほしい施設でした。(2009年03月02日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
横浜中華街(よこはまちゅうかがい)関帝廟(かんていびょう)
住所 :神奈川県横浜市中区山下町140
電話 :045-226-2636
休業日:年中無休
時間 :09:00~19:00(季節で変動。公式サイト確認)
拝観料:無料(参拝する場合は線香代500円)
駐車場:有料
関連URL:横浜 関帝廟《関帝廟入口》