明治・大正・昭和の金採掘現場とエモすぎる廃墟「佐渡金山2(道遊坑)」【新潟】

佐渡金山・道遊坑
新潟県の黄金の島・佐渡ヶ島。明治時代から平成元年の操業休止まで100年間使用された道遊坑(どうゆうこう)ではトロッコや機械類を当時そのまま保存展示しています。緑に覆われた工場跡、迫力ある坑道を見学できます。

よりワイルドな道遊坑を探検!

佐渡金山・道遊坑
前回は江戸時代からの金の採掘について坑道跡と資料館をご紹介しました。今回は明治時代から平成元年まで使用されていた近代の坑道跡です。宗太夫坑(そうだゆうこう)はマネキンなど使ってわかりやすく金の採掘について学べますが、こちらの道遊坑(どうゆうこう)方はよりワイルドでエモいので個人的におすすめです。

超絶ブラックな江戸の金採掘とインゴットつかみ取り!?「佐渡金山(宗太夫坑)」【新潟】
好きな色はと聞かれたら「ゴールド」と秒で答えるワタクシ。新潟県佐渡ヶ島に来たならば佐渡金山に足を運ぶのは当然です。金山の過酷な労働の歴史を実際の坑道で学びます。金の延べ棒のつかみ取りにも挑戦!

洞窟内に保存された近代の金採掘現場

佐渡金山・道遊坑
百聞は一見にしかず。広々とした坑道やトロッコ、線路などをご覧ください。近代遺産・産業遺産としての金採掘現場です。ほぼ当時のままの姿で保存されていますよ。インディー・ジョーンズの世界というかトレジャーハンティングをしているみたいでワクワクしますね。実際の作業は非常に辛いでしょうが。

鉱石を運び出す1トン鉱車

佐渡金山・道遊坑
こちらは1トン鉱車(こうしゃ)。採掘現場から掘り出した鉱石や、廃石を運搬するために使われたもので、ちょうど1トンの石を積むことができたのでそう呼ばれます。明治・大正時代には鉱車は木製でしたが、昭和の時代になって鉄製となりました。

レトロな赤錆の鉄塔にワクワク

佐渡金山・道遊坑
坑道を抜けると、こんなカッコいいタワーが! これは何かというと高任立坑(たかとうたてこう)と呼ばれるエレベータ跡なんです。明治20年代に作られ、さらに掘り下げられて昭和17年には深さ460mにも達しました。鉄製になったのは昭和10年代からですね。レトロな赤錆の鉄塔に胸踊ります。

坑道を行き来していたトロッコ列車

佐渡金山・道遊坑
こちらは人車(じんしゃ)です。坑道で働く人達が坑内と坑外を行き来するために使われたトロッコ列車です。8人乗りで数両の人車を連結して使われました。ここ佐渡金山で設計されて、機械工場で制作されたものです。遊園地のトロッコみたいで可愛い。

明治・大正・昭和にかけての近代の採掘機械を展示

佐渡金山・道遊坑
金の採掘に使われた機械が置いてあります。産業革命の香りがしますね。このころのマシンってなんでこんなに心をときめかせるのでしょうか。きっと大正時代から昭和にかけては日本がどんどん右肩上がりで発展していった時代だからでしょうね。

スチームパンクな金秤量用天秤

佐渡金山・道遊坑
真鍮製のスチームパンクな測りがありましたよ。これは金秤量用天秤(きんひょうりょうようてんびん)。おそらく昭和13年ごろに購入されたものと考えられています。製作者の守谷定吉は明治20年に化学天秤を作った人物です。生産された金塊を測るための天秤で、100分の1グラムまで秤量できるんですよ。当時のハイテク機械です。

ツタはびこる工場の廃墟

佐渡金山・道遊坑
なんという美しい光景でしょうか。工場跡がそのまま残されています。ツタがはびこり、苔むしています。こういう退廃した風景が大好きだという方、結構いらっしゃるのではないですか? 廃墟系カメラマンなら何百枚と写真を撮りたくなるでしょうね。

トロッコとポイントがありました

佐渡金山・道遊坑
人車鉱車の線路伝いに歩いていくと、トロッコとポイントの切り替えがありました。鉱車にはぎっしりと岩石が乗せられていますよ。迫りくるトロッコと来れば──

そう、あれをやるしかない!

トロッコ問題、あなたならどうする?

佐渡金山・道遊坑
そう思考実験のリアル「トロッコ問題(trolley problem)」です! このままでは5人の作業員がトロッコに轢かれて死にますが、ポイントを切り替えると一人が死ぬだけで5人の作業員は助かります。私は迷わずポイントを切り替えるタイプです。さあ、あなたはどっち!? (2019年05月05日訪問)【麻理】

参考文献

地図&情報

佐渡金山・道遊坑(さどきんざん・どうゆうこう)
※以下宗太夫坑の資料館の住所・電話番号です

住所 :新潟県佐渡市下相川1305
電話 :0259-74-2389
休業日:年中無休
時間 :08:00~17:00(冬季は16:30)
入場料:大人900円
駐車場:500台
関連URL:史跡 佐渡金山

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