兵庫県宝塚市の宝塚聖天の墓地には全国陸海空戦没者を慰霊する大光明殿があります。そして大光明殿の上にはゼロ戦の実物大レプリカが乗っています。戦没者の霊に手を合わせてきました。
1919年開山の七宝山宝山了徳密寺
宝塚聖天(たからづかしょうてん)は1919(大正8)年にできた比較的新しいお寺です。正しくは七宝山了徳密寺(しっぽうざんりょうとくみついん)といいます。京都の東寺の管長だった日下義禅(くさかぎぜん)和尚が、大阪市にあった浦江(※現北区)福島聖天了徳院別院として開山しました。
阪神淡路大震災で倒壊するも美しく復興された
地元では「宝塚の聖天さん」と呼ばれています(※聖天寺と呼ぶのは間違いだそうです)。ここも阪神淡路大震災によって本堂以下ほとんどの建物が壊滅状態となりましたが、地元の檀家さんの協力で4年後の1999(平成11)年には復興を終えました。よく手入れされていてキレイなお寺ですよ。
たくさんの方が参拝に訪れるきれいなお寺
聖天さんは開山以来結構人を集めていて、1942(昭和17)年ごろには阪急電車の宝塚南口からお参りのためのバスが通っていました。墓地も美しく清められていて、今もたくさんの方が足を運ばれているんだなあと思いました。
本当は海軍へ行きたかった日下和尚
その墓地の一角にあるのが、ゼロ戦の原寸模型です。なぜお寺さんにこんなものが? と思い調べてみると面白いことがわかりました。聖天さんを開山した日下和尚はもともと海軍に入りたかったのですが、試験に落ちてしまいかわりに高野山の大学に入ってお坊さんになったという経緯があります。
1978年に戦没者慰霊のためにゼロ戦を設置
このゼロ戦模型は1978(昭和53)年の8月に全国の陸海空の戦没者250万の英霊を祀る設置されたものなので、日下和尚の意向であったかどうかは定かではありませんが、 ひょっとすると何か関係があったのかもしれませんね。
お彼岸、お盆に開放される大光明殿
ゼロ戦の下にある大光明殿には木彫りの観音像を中心に、戦時中の写真や位牌が並んでいるそうですが、私が訪れてた時には残念ながら扉が閉まっていました。お彼岸、お盆の時には中を見学できるみたいです。
入り口の掲示板をぜひ見てみてください
入り口の掲示板には兵士たちの遺書、また家族から特攻隊に宛てた手紙が貼ってあります。二十歳ぐらいなんて人生で最も輝かしい時だろうに──、若くして死んでいく息子になぜこんな手紙を母親が書かねばならないのか──と胸がつぶれるような思いがしました。大分の予科練資料館、茨城の雄翔館、広島の海事歴史科学館──私は彼ら特攻隊員の手紙を読む度に泣かないように歯を食いしばっています。



一人でも多くの方が足を運んでくれますように
当ブログでは珍スポットだけではなく、戦争関係の施設もたくさん訪れています。決して茶化すような意味ではなく、一人でも多くの方が足を運んで戦争について考えてほしいという思いからです。いろいろと考えさせられる場所でした。(2018年05月03日訪問)【麻理】
参考文献
地図&情報
宝塚聖天大光明殿・ゼロ戦(たからづかしょうてんだいこうみょうでん)
住所 :兵庫県宝塚市宝梅3-4-48
電話 :0797-71-6948
拝観料:無料
駐車場:なし
関連URL:東寺真言宗 宝塚聖天 七宝山了徳密院