まるで宮殿! 明治・大正のセルフビルド建築「岩窟ホテル」【埼玉】

岩窟ホテル
埼玉県の吉見百穴、岩室観音の近くに奇妙な廃墟があります。これこそセルフビルドの元祖・岩窟ホテル。今から110年以上前、1904年に高橋峰吉氏自らが掘り始めた岩の宮殿です。

吉見百穴と岩室観音のすぐ近く

岩窟ホテル
吉見百穴(よしみひゃくあな)から歩いて数分の場所に岩室観音(いわむろかんのん)があり、その岩室観音と岩山一つ隔てた隣が岩窟ホテルです。こんなに近くに3ヶ所もの珍スポットが存在しているとは珍しいですね。ぜひ3つとも全てまわってみましょう。

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セルフビルド物件なので観光名所ではない

岩窟ホテル
吉見百穴のように岩肌に穴があいていますが、こちらは遺跡ではなくある個人が急に思い立って岩を掘り始めたセルフビルド物件。観光名所でもなんでもないので、周りに説明書きなどは皆無です。例によって吉見百穴目当ての大多数の観光客は素通りしていくのですが、実にもったいないことです。

私有地なので絶対に中に入らないこと

岩窟ホテル
ただしここは私有地であり、以前数度の落盤事故が起こっているために立ち入り禁止となっています。鉄条網やフェンスで厳重に囲まれていますので、絶対に乗り越えて廃墟探検はしないでください。危険ですし、廃墟に無断で立ち入ることは法律違反です。

なお土地所有者は岩窟ホテルの向かいにあるお土産屋さんです。すぐ見える場所にあるので、こっそり入ることはできません。お土産屋さんには当時の写真などがあります。

明治時代に高橋氏が冷蔵庫にするために岩を掘り始めた

岩窟ホテル
明治時代に吉見百穴の付近の土地の所有者で、近所に住む高橋峰吉という人がいました。彼は低温の洞窟がアルコール醸造用の冷蔵庫として使えるのではと思いつき、ノミ一本で岩穴を掘り始めました。明治37年(1904)、高橋さん46歳の時のことです。

部屋、ベランダ、大広間、階段!

岩窟ホテル
このあたりの岩は凝灰岩で建築資材にも利用される加工しやすい石材です。掘り進めるうちにだんだん面白くなってきたのか、建築の雑誌まで買い集めて購読。そして21年かけて冷蔵庫どころか部屋、ベランダ、大広間、階段まで作ってしまいました。

見物人が殺到して整理券までくばった

岩窟ホテル
棚や花瓶はすべて岩を掘り残して彫刻するかのように作ったそうです。建築家というよりはむしろ彫刻家ですね。大正の初めには見物人が殺到したために、整理券を配ったほどの人気観光地に。なんとロンドンタイムスにも報じられたといいます。

当時の絵葉書や写真からうかがい知ることができる岩窟ホテルの様子

岩窟掘ってる→岩窟ほてる→岩窟ホテル

岩窟ホテル
しかし高橋さんはホテルとしてここを作ったわけではありません。まわりの人達が高橋さんを見て「岩窟掘ってる」と噂しました。つまり岩窟掘ってる→岩窟ほてる→岩窟ホテルというダジャレでそう呼ばれるようになったのです。だから実際にホテルとして営業したことは一度もありません。高橋さんご自身はこの建物のことを「高荘館」と名付けていました。

養子の息子さんも跡をついで建設

岩窟ホテル
大正15年(1925)に高橋さんが亡くなると、高橋さんの養子となった息子さんが岩窟ホテルの建設を受け継ぎました。当初の計画では三階建ての建物になる予定で、完成には3代が150年かけて洞窟を掘らねばなりませんでした。

しかし1982年、1987年に台風などで岩窟ホテルの一部が崩壊。息子さんも同年に亡くなったため建設計画は永久に中止になってしまいました。

工事再開の予定はありません

岩窟ホテル
現在岩窟ホテルの面影が残っているのは、お土産屋さん前にあるこの看板のみです。素晴らしい観光資源になりそうなので、個人的には再オープンしてほしいのですが、今後の工事計画の予定もないそうです。岩窟ホテルは夢のまま朽ちるのを待つばかりかもしれません。

かつての岩窟ホテルの雰囲気を感じてみよう

岩窟ホテル
その代わりといっては何ですがすぐ近くの道路脇に、当時の岩窟ホテルの雰囲気を肌で感じられる場所があります。旧日本軍が掘った洞窟の跡です。吉見百穴も軍事基地として使われた歴史がありましたね。これもその一部。鉄格子があって中には入れないのですが、ぜひ穴の前に立ってみてください。

真夏でもひやりとした冷風が吹いている

岩窟ホテル
訪れたのは夏の暑い日でしたが、穴の前だけヒヤッとする冷気が漂っていました。岩窟ホテルも年中18度〜20度の気温だったそうです。肌寒いほどの冷風を感じながら、昔の岩窟ホテルはこんな風に涼しかったのかなあと思いを馳せました。

なお岩窟ホテルも吉見百穴と同じく心霊スポットとして有名です。夜中に訪れるときはどうぞご注意を。(2016年07月17日訪問)【麻理】

追記:2016年12月01日

江戸川乱歩の『孤島の鬼』に

上州辺で天然の大岩を刻んで、岩屋ホテルを作っているおやじさんみたいに、子孫幾代の継続事業として、この大復讐をなしとげようというのだ

と書かれている部分があります。「上州辺」とあるのが気になりますがこれは岩窟ホテルのことを指しているのでしょうか? もしそうだとしたら昭和30年ごろの人々にとって岩窟ホテルがよく知られていた存在だということの証明になりますね。

参考文献

地図&情報

岩窟ホテル(がんくつほてる)

岩窟ホテル内部は立入禁止です。フェンスの外からの見学になります。

住所 :埼玉県比企郡吉見町北吉見

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